HOME >  一瀬桑で地域の再生を図る

一瀬桑で地域の再生を図る2013.07.09 | 

 市川三郷町山保地区で桑の葉茶製造が地域活性化につながると信じ挑戦する韓国人のハン・ソンミンさん。既存の農家から桑を買うだけでは量に足りないため、自ら桑栽培を始めることになりました。そんなハンさんに桑葉栽培の技術支援をする山梨県峡南農務事務所の臨時職員の山本亨さんに話を聞いてみました。

山梨の農業再生に貢献する山本亨さんとハンさん

山梨の農業再生に貢献する山本亨さんとハンさん

<山梨県峡南農務事務所臨時職員・山本亨さんのインタビュー>

―山本さんとハンさんが出会ったきっかけを教えてください。

山本:ちょっと昔に蚕の専門の仕事の関係で神奈川にいたのですが、たまたまここに来て偶然ハンさんと知り合ってから一緒にやっているという感じです。桑栽培のことは、少しは私の方がわかっているかなと思うんですけど(笑)。

―市川三郷町というのは、昔から桑畑、いわゆる養蚕が中心的な産業だったわけですが、最近は価格の問題や生産者の高齢化しているということを聞いたのですが、現在は養蚕をされている方はいらっしゃらないのでしょうか?

山本:山保地区では1軒しかやっていません。 隣の富士川町でも大きくやっている方が一人おりますが、山梨県でも10数件になってしまったと思います。

―以前は何百という養蚕農家があったわけですよね?

山本:ええ。昔は農家のうちのほとんどが養蚕農家でした。昭和初期から中ごろにかけてはこの辺一帯も見渡す限り桑畑で、山保も桑の郷だったわけです。
養蚕の場合には蚕を飼って、繭(まゆ)を作らせる、そして繭から先は製糸業者、1年間倉庫に保管しておいて1年中繭から生糸を引いて一本の生糸の塊を作っていく。その生糸を織物会社に出荷して織物会社はそれで生糸製品、ネクタイとかスカーフとかを作るという形なのですが、国産の繭を作るのに見合う産業としての基盤がなくなってしまったわけです。以前より外国に押されて今はほとんど中国からのもので日本の生糸はまかなわれています。
 それで養蚕農家はなくなってしまって、今の残っているのは国から価格保証を受けています。ここ数年ではいわゆる繭から生糸、生糸から製品と一連の流れのあるグループだけに補助金を出しています。ですから山梨でもそういうグループにだけ補助金が出るようになっているため、一般の農家はやりたくても参入できないという状況です。

―では山保にある1軒というのも。

山本:はい、そこも一つのグループになっていて、かろうじて生き残っているというところです。

―しかし、桑畑自体は養蚕が終わっても存在しているんですよね?

山本:ええ、桑はもともと永年作物で20年、30年は平気で持つのですが、養蚕はやらなくなったけど桑畑は残っているという農家が何軒かあって、山保地区でもかなりありまして、その桑をそのままにしておくと、荒廃地になってしまうのです。
 ですから、桑畑を元養蚕農家に管理していただいて、従来は蚕のエサとしてあげていたものを食品というかお茶として加工するために材料を買い上げているわけです。今までそのように元養蚕農家から桑の葉っぱの提供を受けていたわけですが、桑茶の生産拡大ということでそれでも足らないので今度は自分自ら桑畑を作ることになりました。

―つまり新しい需要が出てきたということですね。

山本:むこうの山の斜面にも畑が見えますが、むこうとこちらを合わせて1.5ヘクタールくらい。もともと荒廃地になった土地を借りて畑を作ったということです。雑草どころか木が生えているような状態で、業者が入って重機を使って地上のものは全部取ってという形です。

桑畑にて取材

桑畑にて取材

―桑というのはどれくらいしたら生産できるようになるわけですか?

山本:今年植えて、今年なら9月下旬か10月上旬に1回だけ収穫します。

―収穫というと上の方の新芽だけを取るわけですか?

山本:今年は雨が少なくて伸びが悪いのですが、これがずっと伸びてきて予想では約1.5メートルくらいになります。それを下から大体70センチくらいのところで切る形です。今年は1回だけ収穫ですが、来年からは春先にこれが株になるのですが、それがまたずっと伸びてきたものを7月に採ります。そしてまたずっと下から伸びてきて9月末か10月に採れるので、要するに年に2回収穫できるということです。

―実際今の桑畑で働いていらっしゃる農業従事者の方が高齢化されているというのは本当ですか?

山本:そうですね。おそらく60代後半から70代、80代くらいです。

―その方々のお子さんたちというのは都会に出ていらっしゃるわけですか?

山本:はい、農業には従事していないですね。残念ながら…。

―その理由についてはやっぱり農業ではやっていけない、生活が大変だからというものでしょうか?

山本:そうですね。でももしハンさんの会社で規模拡大が進んで地元で作った桑を原材料として買い上げるということになれば、仮に今お勤めされている方もいずれは定年になるわけですから、山保の地元に親の自宅もあるわけですし、Uターンして帰ることもできます。60代と言えばまだバリバリ働けますので農地を保全する意味でも、桑を作って売ることもできます。ハンさんも山保を中心として市川三郷町を元気にしようと頑張っているので、まわりからも注目されています。

―一方で日本の若い方の中にハンさんのように自分が地域の面倒を見ようじゃないかというような人はいないのでしょうか?

山本:なかなかいません。自分の経営ということで考えている方はいますが、地域という目で、山保ひいては市川三郷町の中で、もともと養蚕発祥の地で桑茶を中心に地域の活性化をしようとまで考えている人はなかなかいないものです。その辺がハンさんは普通の日本人の性格とは違って思い切ったことができるというか、発想が大きいというか、夢が大きいというかですね。

 

今後の計画について話し合う山本さんとハンさん

今後の計画について話し合う山本さんとハンさん

―働き手がいない農家に農業就業者を受け入れるようという動きはありますか?

山本:農業協力隊制度とか、若い方で農業に興味があって経営者として自立してやるという人を育てる制度はあります。例えば奨学金制度や立派な経営農法をされている方のところに1年間研修に行って、その間の住まいと給料の一部を県で支援する制度はあります。

―しかし土地にしっかりと腰を下ろしてやっていくという人がいないことには10年後、20年後の先が見えないということですね。そういう観点からするとハンさんはもともとここに住んでいる方ではないのに、ここに住んでやろうとしているのは稀な例に含まれますよね?

山本:この地区にこだわっている理由というのがもう一つありまして、養蚕の桑には400種類くらいの品種があって、その中で日本の養蚕に一番使われているのが「一瀬(いちのせ)」という品種で、実はその「一瀬」という品種の発祥が市川三郷町なのです。一瀬益吉(いちのせますきち)さんという農家の方が購入した苗の中から発見して個体選別して、それが一瀬という名前で全国に広まりました。ピーク時は8割以上の桑は一瀬だったと思います。非常に良質な品種で蚕のためには良い桑だということなのですが、その母樹が町内にあるのです。その意味でも、ハンさんが市川三郷町にこだわっているのには理由があるわけです。

―ハンさんは文化的な違いによる苦労はされたのではないですか?

山本:かなり苦労はされたようですよ。でもその熱意と意気込みで今でも20軒近い農家から桑の葉っぱを購入していますが、皆地元に定着している人たちで、もともと辞めようと思っていた桑畑をハンさんがやるというのならこれからも管理を続けようと、今では協力しようという人の方の方がむしろ多いです。それでもやはり最初は苦労されたようです。

―ハンさんからすれば文化も違う外国で信頼を勝ち取ってきたということですね。

山本:そうです。その辺については本当に人間的にも魅力があって奥さん共々、地元の人たちに愛されています。もちろん行政もバックアップしていますが、基本は本人たちの気持ちが周りの人に理解されるかどうかですから。農地は5年とか10年とか契約を結んで借りているわけで、地権者の同意がなければ土地も借りられませんし何も植えられません。

―土地の所有者の立場からすれば、放置しておくよりは農地として使用してもらった方がありがたいわけですよね?

山本:もともとは、ものすごい荒廃地だったのですが、これをきれいな畑に戻しているので地権者の方にとってもいいですし、仮に全部返してくれとなった場合には全部桑を抜いてお返しすればいいわけです。荒廃地といっても萱(かや)や篠(しの)やススキは人間の背丈の2倍だった状況だったので、荒廃農地を解消するという意味だけでもやるだけの価値はあります。ここはの畑は比較的平地ですが、むこうは傾斜地で作業が大変なんです。今年2万本植えて、来年も2万本近い苗を植える予定です。おそらく、これだけの本数を一度に植えるのは日本にはほとんど事例がないと思います。既存の桑畑である程度まとまった量があるのはありますが、新たにとなると初めてといえます。

―養蚕や桑栽培の専門でいらっしゃる山本さんからするとうれしい話ですね。

山本:うれしいことです。私も最初話しを聞いたときは、多分、1~2反(約1~2千㎡)、植えても2~3千本だと思ったのですが、一度に2万本と聞い時にはびっくりしました。日本人だったら、様子をみて、うまくいけば少しずつ増やそうというのが普通の考え方ですが、一度にこれだけの量ですから。
 昔は桑苗業者が日本全国にあって、特に、栃木、群馬、埼玉にはたくさんあったのですが、今では、栃木と群馬に数件残っているだけで、それも、桑茶のことを念頭において見込みで作っているだけです。
 山梨は80数万人口の過疎の県で、山合いは過疎の村があります。そういう中で、かつての基幹産業であった養蚕の一部だった桑畑が広がっていくというのが驚きです。桑畑を作って材料を提供する農家としてUターンが出てくるのも一つの期待ではあります。もちろん若い人がやってくれれば一番いいですが、地域の過疎が進まないで桑畑に限らず農業をやっていこうという方が地域に根差してくれれば非常にありがたいと思います。

―耕作地や農業を守るための復興や再生には多くの社会的なコストがかかり、実際どこの地方自治体でも資金がかさむ問題だと思うのですが、大きな社会的コストをかけても農業を守るべき理由というのがもしあるとすればどのようなものなのでしょうか?

山本:農業の中で一番問題になるのは、荒廃農地が増えると、荒廃農地が耕作地に影響を与えるということです。そのため荒廃農地を解消するためにおそらくどの県でも力を入れていると思います。
 もう一つは鳥獣害の問題です。荒廃地が増えると鳥獣のすみかになって、鳥獣被害が増えるという問題があります。そのため荒廃農地を全部解消するのは無理だとしても、何らかの形で増えないように、一定のいわゆる畑作地帯という形で維持することを考えないと全部がだめになってしまうのです。
 また、ハンさんのようにまとまった農地が必要な場合、土地を確保しようと思ったら荒廃地を借りてそこをきれいな状態にしてものを作るしか方法がありません。まとまって規模拡大を図ろうと思ったらハンさんのような個人にしても農業生産法人のような大きな組織にしても農地の確保というのは難しいわけです。山の上に荒廃地があるといっても、そこまでの交通手段や鳥獣害のリスクを考えると、まとまった土地を確保する方法はなかなかないわけです。

―今日はいろいろと教えていただいてありがとうございました。

今年の桑の成長を見守る

今年の桑の成長を見守る

ハンさんに桑栽培の指導をする山本さん

ハンさんに桑栽培の指導をする山本さん

前のページへは、ブラウザの戻るボタンでお戻りください。
このページのトップへ