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フィリピン南部における武力紛争と下からの平和構築「共に創るアイデンティティ」というテーマでオンラインセミナーを開催しました2020.09.14 | 

 フィリピン南部における武力紛争と下からの平和構築「共に作るアイデンティティー」というテーマでオンラインセミナーを行いました。

 8月22日にフィリピン南部における武力紛争と下からの平和構築「共に作るアイデンティティー」というテーマでオンラインセミナーを開催しました。
 今回、講演を引き受けてくださった石井正子先生は、立教大学異文化コミュニケーション学部の教授を務めており、45のNGOが加盟する人道支援のためのプラットフォーム「ジャパンプラットフォーム」の理事および常任委員として、フィリピン以外にも南スーダンやスリランカといった、いろんな地域での平和構築に携わっていらっしゃいます。

 この日は、石井先生の紹介とセミナー、参加者の方々からの質疑応答、という形で進行しました。
 多くの内容の中から、一部を抜粋します。

■石井先生の略歴
・立教大学異文化コミュニケーション学部で教鞭をとり、専門はフィリピン研究と紛争研究。約50年にわたるフィリピン南部の武力紛争を研究。
・フィリピン南部のミンダナオ島に1994年に初めて訪問。それからほぼ毎年のようにミンダナオ島を訪れている。
・武力紛争の影響を受けたイスラム教徒の方のあいだでフィールドワークを行う。市場で野菜を売りながら武力紛争で夫をなくした女性の話に耳を傾けたこともあった。

■研究分野である武力紛争について
・フィリピン南部の歴史:13~14世紀にフィリピン南部にイスラム教が伝来。その後、2つのイスラム王国が形成。
・16世紀にスペインがフィリピンを植民地化し、キリスト教を布教。しかし、南部には実質的なスペインの植民地支配は及ばず、住民はキリスト教化されなかった。
・フィリピン南部の武力紛争→フィリピン政府とモロ民族解放戦線、モロイスラム解放戦線(共に主にイスラム教徒)との争いが続いていた。非イスラム教徒も先住民としての権利を要求する政治闘争を展開してきた。
・現在はフィリピン政府とモロイスラム解放戦線の間で和平協定が結ばれ、プロセスが進んでいる。
・武力紛争はいつどのような形で終わるのか?→一方が他方を軍事制圧する武力紛争に勝利する。または仲介者が入って話し合いがもたれる対話の後に和平合意が結ばれる。

■和平合意とその後の困難
・和平合意が結ばれた後に再び武力紛争が発生してしまう確率は50%以上(2000年代の世界銀行のレポート)
「我々が政府と和平交渉の過程から学んだ最も手痛い教訓は合意を交渉することは難しいがその実現はより困難だ」というモロ民族解放戦線の和平交渉団長の言葉がある。
・和平合意(上からの平和構築)はそれ自体は紙に書かれたもの。それに署名をするということで平和が自動的に実現するわけではない。和平合意が確実に実施されるか、が和平合意の実現より困難である。
・武力紛争が長期にわたって展開されたことにより、コミュニティが分断される。分断したコミュニティをいかに修復するか、が困難な課題である。

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■問題の本質は?
・「先住民の先祖伝来の領域への権利回復」が問題の本質
・13~14世紀にイスラム教が海上交易ルートにのって伝来。
・イスラムになることを拒んだ住民は、山間部の方に居住地を移している。
・スペインが1571年、フィリピンを植民地化
・北部はキリスト教への改宗、南部のイスラム教徒が反発、2つの王国が残存する
・1898年の米西戦争後、勝利したアメリカがスペインに代わって宗主国に。
・アメリカは南部の人たちの土地所有権が否定し、北部のキリスト教徒化した住民を南部に移住させる政策を展開。
・第二次世界大戦フィリピン政府も南部に入植政策を継続→南部のイスラム教徒がマイノリティへ
・その反発で、モロ民族解放戦線(武装勢力)が結成。元々の目的は独立だったが、現在は自決権を求める戦いに変化。モロ民族解放戦線から分かれたモロイスラム解放戦線が最大の武装勢力になっている(他にも分派が多くある)。

■ムスリム、非ムスリムと政府との闘争
・ムスリムは武力闘争、非ムスリムは政治闘争、をそれぞれ政府との間に繰り広げてきた。
・一部の非イスラム教徒&キリスト教徒 VS イスラム教徒→その修復に時間がかかる
・モロイスラム解放戦線との和平交渉:2014年に両者が包括的和平合意に署名→新しい自治政府を作るための法律が議会で2018年の7月に通過。住民投票で2019年1月に批准。2022年に新自治政府が発足の計画。

■新自治政府のアイデンティティ確立の過程
・自治地域の大多数の住民はイスラム教徒のバンサモロ。その中に非イスラム教徒が存在。この両者のアイデンティティをどのように規定していくのかという議論に学ぶことがとても多い。
・そもそもこの自治地域の名前は「バンサモロ自治地域」この「バンサモロ」に非イスラム教徒が入るか入らないか、が議論の焦点。

■アイデンティティ「同じ」が先か、「違い」が先か
・モロ民族解放戦線(イスラム教徒)の立場→まず「バンサモロ」であり、その後に個々のアイデンティティを認める
・非イスラム教徒の立場→自分たち独自のアイデンティティを認めた上で同じ「バンサモロ」である
→最終的には非イスラム教徒の主張が通った形の法律が制定される。

■平和的な共生のために
・民族創生の物語:イスラム教がフィリピン南部への伝来の際、作られた物語には、「もともと一つの民族であり、宗教としては分かれたが、友好的な関係を保とう、という話がある。
・新自治政府成立において、非イスラム教徒のアイデンティティを認めた上で、バンサモロのアイデンティティも認めることができる寛容さがあった。
・考え方として、それぞれのアイデンティティの間の境界線は「分ける」のではなく境界線を隔てて「つながる」場所。

■まとめ
・フィリピン南部に新しい自治政府を作る過程で、イスラム教徒と非イスラム教徒がぶつかり合いながら対話を行ってきた。
・その会話の中から、イスラム教徒の中から「複数のアイデンティティを持っても良い」「民族の境界線を分けるものではなく繋がり合う出会う場として考えていく」重要な平和への契機となるような考え方が提示された。

■参加者からの質疑応答の一部抜粋
・ISのフィリピン南部への働きかけの現状はどのようか
答)現地でISに忠誠を誓ったグループがあり、2017年5月に政府との武力衝突が起こっている。その後、フィリピン南部のISのトップ殺害をもって戦争終結宣言が出された。その地域はフィリピンでも最も貧しい地域に入るので、動員に同意する人々も比較的多い。
・下からの平和構築として、どの程度のレベル(自治体レベルか、より小さなコミュニティレベルか、など)まで形成されているのか
答)現地のイスラム教徒と非イスラム教徒の間にはまだ、共有しているアイデンティティに対する認識などのギャップがある。その中で、複数の文化集団が集住する自治体の長が、それぞれの文化集団を結びつける重要性を理解している場合、その自治体での紛争は少なくなる。
・地域紛争地域でのフィールドワークをされる中で、身の危険など感じられたことはありますでしょうか
答)長年紛争地域のフィールドワークに携わる中で、現地の人との信頼関係を築き、それらの人々(家族同然の存在)に現地で危険から守ってもらうことが非常に多い。また、武力紛争の被害者と言うと、イメージで被害を大きく想像してしまうが、実際の被害者数も鑑みながら、客観的に数字を見ていくことも必要。
・日本からのODA支援についてどのように評価されているか。
答)日本は非常にユニークな支援の仕方をしている。2002年(本格的には2006年)から支援をしており、普通は相手国政府をカウンターパートにするが、この地域の場合、フィリピン政府の承認を得た上で、最終和平合意前から、直接モロイスラム解放戦線をカウンターパートにして支援をしている。また、モロイスラム解放戦線の日本政府への信頼も厚い。

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