HOME >  【インタビュー:多文化をチカラに⑦】 マトリョーシカ(ロシア料理店)

【インタビュー:多文化をチカラに⑦】 マトリョーシカ(ロシア料理店)2022.10.24 | 

My Eyes Tokyoの協力のもと、日本で活躍する外国にルーツを持つ方々へのインタビューを紹介していきます。
https://www.myeyestokyo.jp/59823


戦争は、すぐには終わらないかもしれない。それでも私たちは、自分が今できることに専念したいと思います。

私たちMy Eyes Tokyoは、様々な国々から来た人たちにインタビューする上で、①相手の出身国・地域を偏らせない、②宗教や政治、その他プライベートに関わることは聞かない、③敵対していると言われる国・地域双方の出身者の声を聞く・・・以上の3つを心がけてきました。特に③については、My Eyes Tokyo編集長の徳橋がかつてテレビドキュメンタリーで見た、敵対するといわれる国々の若者たちが、お互いの融和に向けて草の根で交流する姿に衝撃を受けたことが、その原体験になっています。

そんな私たちはある日、1つの新聞記事を見つけました。日本へと避難してきたウクライナ人たちを支援しているロシア料理店の紹介です。反ロシア感情が原因とみられるお店への誹謗中傷に屈さず、お店への雇用や、日本定住のための書類手続きの代行などを通じてウクライナ避難民を支援するその姿に、私たちは心を打たれました。

その後お店に連絡を取り、実現した今回のインタビュー。経営者であり、ウクライナにルーツを持つステッツク・アナスタシアさんと、共同経営者である娘のダイアナさんは、戦闘の長期化が懸念される”二つの祖国”を憂いながらも、その言葉一つ一つに、自らに与えられた使命を全うする強い意志を込めていました。

ステッツク・アナスタシアさん(左)ダイアナさん(右)

私たちは日本で生きていく – レストランは決意の証
ステッツク・アナスタシアさん(以下”アナスタシア”):私たちが千葉にこのお店をオープンしたのは、2つ理由があります。1つは私たちが20年間千葉県に住んでいること。もう一つは、ロシア料理店が他に千葉県内に無いことです。

ステッツク・ダイアナさん(以下”ダイアナ”):ここが千葉県で初めてのロシア料理店なのです。

アナスタシア:私はロシアにいた頃から料理が好きで、シェフやパティシエの専門学校で学んでいました。子どもたちにご飯を作るのも好きでしたし、家でピロシキやペリメニを作って販売していたこともありました。

私が生まれ育ったハバロフスクは日本に近いので、私の友達が日本に住んでいました。だから私はもともと日本に興味を持っていました。そのような理由から、主に日本の中古車や部品を輸入販売していた、ハバロフスクにある自動車関連会社に勤務。そしてその会社の日本支社に異動して以来、私は日本、しかも千葉県内に住んでいます。仕事関係での来日だったので、家族の中で日本に来たのは私だけでしたが、一旦ハバロフスクに戻った時に娘が生まれました。

ダイアナ:ママは私を生んだ後に日本に戻り、私はおじいちゃんとおばあちゃんに育てられました。幼稚園まではハバロフスクにいましたが、ママが私を呼んでいたし、私もママのそばにいたいという思いを強く持っていたので、私は6歳の頃に日本に来ました。

アナスタシア:私が働いていた自動車関連会社は、やがて業績が落ちたために退社。ラーメン屋さんでアルバイトをしながら息子や娘(ダイアナさん)を育てました。

こうして約15年が過ぎた頃、日本でこの先も生きていくことを決めました。そしてこの国で自分が何が出来るか考え、2018年にこのお店をオープンしました。

ダイアナ:ちょうど私が高校生の頃です。当時、私はアルバイトや将来の仕事について考え始めていました。そのタイミングで、私たちが日本に長く住んでいることの証を何かの形で残したいと思い、ロシア料理店を開きました。最初はロシアから来たおばあちゃんや親戚を含めた、私たちの家族だけで経営していましたが、やがてアルバイトを雇うようになりました。それからお客さんが増え、レストランは年中無休でオープン。さらにデリバリーやキッチンカーなど、お店以外でも積極的に販売していきました。

現在はキッチンカーは廃止し、月曜・火曜を定休日としていますが、その代わりロシア雑貨の販売やイベントでの出店、ロシア語教室も開いていきたいですね。また私たちのスタッフにはウクライナやベラルーシなど旧ソ連諸国の出身者が多いので、その人たちの食文化も紹介していきたいと思っています。

厨房のそばにはロシアの国花であるひまわりが飾られている

人間はどこの国や場所でも同じ 困っている人がいたら助けたい
アナスタシア:私が生まれるずっと前、私のお父さんの家族全員がウクライナからハバロフスクに移住しました。そしてお父さんは、後に私のお母さんになる女性と出会い、結婚しました。その当時はロシア人とかウクライナ人とか誰も気にしませんでした。誰もが「みんな一緒」だと思っていたのです。

今年(2022年)2月にロシアとウクライナとの戦争が始まりましたが、その前から少しずつ、地震みたいに2つの国の間が揺れていました。でもやがて大きな爆弾が落ちて・・・考えると鳥肌が立ちます。

戦争が起きたことを知った時、最初はその情報を信用できませんでした。「どうして?」「なぜ?」とばかり思い、インターネットやテレビを見ました。私の親戚や仲間の間でも、誰が正しくて誰が悪いとかで喧嘩するようになりました。

そのような状況で、私たちは自分たちが出来ることを考えました。私が日本に来た頃、日本の人たちが日本の言葉や文化などいろんなことを私に教えてくれた。それに対する感謝の気持ちを持っています。それに人間はどこの国や場所でも同じ人間だから、誰かが困っていたら、私がロシアとは全然違う国で人々に助けてもらったように、その人たちを助けたいと思ったのです。

お店の外にはウクライナ避難民支援への協力を呼びかけるビラが掲示されている

ダイアナ:私たちはウクライナから来た避難民たちをお店で雇ったり、市役所や入国管理局に彼らと一緒に行って、日本に住むために必要な手続きをしたりしています。私たちに関する報道をきっかけに、私たちのお客さんがお店に洋服や食べ物を送ってくださるようになり、それらを避難民の一時滞在施設などに提供しています。日本の人たちからは「避難民に仕事を紹介したいがどうすれば良いか」などのお問い合わせをいただくことがありますし、避難民たちからも「助けてほしい」という電話をいただくこともあります。

避難民たちにとって日本は全く知らない国。だからどこに何があるのか分かりません。さらにここでは頼れる人がいないから、自分で何とかしないといけない。だから私たちのところに場所や人、仕事などで助けを求めているのです。一方で日本の人たちからは「避難民に仕事を紹介したいがどうすれば良いか」などのお問い合わせを時々いただきます。双方をつなげる活動などを通じて、私たちはこれまで約30~40人の避難民に接してきました。

2人のウクライナ避難民支援への取り組みを伝える新聞記事

ダイアナ:でも一方で、戦争が始まった後、日本の人たちから心無いことを言われることも増えてきました。その中には、ロシア人が経営しているロシアレストランを調べ上げて電話をする人もいたのです。

アナスタシア:日本人からだけでなく、私たちのロシア人の友達同士で、このお店に来ていることを巡って喧嘩になったことがあったそうです。

ダイアナ:それでも、私たちはこれからも避難民への支援を続けます。避難民は今でも日本に来ていますし、助けを求めている人もまだまだいますから。「もし私たちが支援をやめたら、誰が支援をするのか」という気持ちがあるし、私たちが出来ることは全部やりたいと思っています。私たちを非難する電話やメッセージが来ても、ウクライナ避難民にとって何にもプラスにならないし、もしそれらに屈して私たちが支援活動をやめたら、避難民たちに迷惑がかかる。だからネガティブな声はできるだけ無視するようにして、逆に私たちを応援してくれる人たちの声を聞いてやる気を出そうとしています。

戦争終結を願い 自分たちができることに専念
アナスタシア:戦争は止めてほしいね・・・最近、ロシアは18歳以上の男性30万人の予備役(一般社会で生活している軍隊在籍者)を動員しました。動員令に従わないと刑務所に入れられますが、一方でそれだけの数の男性たちが戦争に行くと、仕事をする人がいなくなってしまいます。

ロシアも世界も、今はみんな戦争のことを考えている。戦地で使う車や薬品、いろんな物資を作っており、大きなお金が動いています。それだけ戦争にお金を費やしているということ。私はその動きがとても怖いのです。だって、戦争が止まらなくなってしまうから。たぶん私は、戦争はすぐには終わらないと思います。

ダイアナ:私たちの周りの警察や軍関係に所属している人たちの中で、突然ハバロフスクからモスクワへの異動を命じられたケースがあります。そうなると本人だけでなく、彼らのご家族の人生まで変わってしまいます。その目的や、それが良いことなのか悪いことなのかも私には分かりませんが・・・

アナスタシア:人を殺す戦争ということが、私は怖い。ロシアとウクライナは言葉が通じるのだから、できるだけ話し合いで決めるようにして、人を殺さないようにしてほしいです。

ダイアナ:私たちは、とにかく自分たちができることに専念したいと思います。これまでウクライナ避難民を何人かこのお店で雇っていますが、仮にこのお店で働けない場合でも、他のお店で仕事ができるようにしたいし、日本定住に必要な書類についても経験を重ねていきたいと思っています。

お2人にとって、日本って何ですか?
ダイアナ:”私を育ててくれた国”です。
「ロシアと日本、どちらが母国ですか?」と聞かれたら「どちらも母国です」と答えています。だから区別をつけたくなくて、私にとっては両方とも母国。だからどちらが良くてどちらが悪い、ということはありません。

ロシアは私が生まれた国で、親戚たちがいる国。日本は私が今住んでいる国で、学校に通って友達ができた国です。

だから、ロシアも日本も私にとっては母国なのです。
アナスタシア:私は生まれた場所を間違えたかな(笑)私は見た目がロシア人だけど、性格は日本人に近いです。

ダイアナ:ママは性格が日本人ぽくて、私がロシア人っぽいかも(笑)

アナスタシア:だから日本でいくら大変な思いをしたとしても、ロシアに帰りたいとは思いません。

日本は安心、安全、平和の国。私にとって、それらが一番大事なものなのです。

インタビューの後 絶品料理の数々を堪能しました。

ごちそうさまでした~とっても美味しかったです!

マトリョーシカ

千葉市中央区登戸1-22-1 千葉ビル2F(地図
※最寄駅:千葉都市モノレール「市役所前」またはJR千葉駅/千葉みなと駅・京成千葉駅/新千葉駅

ランチ:11:00~15:00(ラストオーダー14:30)
ディナー:17:00~22:00(ラストオーダー21:30)
定休日:月曜・火曜
電話:043-307-8486 ※避難民を支援したい人たちからの連絡もこちらへ

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