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1月28日から31日、インドネシアでオールライツビレッジプロジェクト支援ツアーを開催しました。2013.02.05 |
ジャカルタは支援ツアー開催の10日ほど前、大雨に見舞われ、市の中心地が浸水し、約2万人の人が避難し、ジャカルタ市は27日まで非常事態宣言を発表していました。ツアーの開催自体が危ぶまれましたが、1月28日、日本から10名の一行がジャカルタ国際空港に到着した時には、市内の洪水はすでに収束していました。ツアー期間中に、再度、大雨が降るという天気予報があったにもかかわらず、天候に恵まれた日程を過ごすことができました。
空港からボゴール県プンチャクにあるホテルに向かい宿泊。翌29日、ホテル会議室で現地のGPFインドネシア財団のスタッフとボランティアが紹介され、今回のプロジェクトとツアー日程に関するオリエンテーションが開かれました。
同日、昼食後、市街地から山を登る狭い道を車で走りながら、午後2時にプロジェクトサイトとなるボゴール県メガムンドゥン郡パセバン村に到着しました。アンティス村長をはじめ58家庭が総出で、一行の到着を歓迎。村の子どもたちがインドネシアの国歌を歌った後、村の入り口に立てられたオールライツビレッジのサインボードの除幕式が行われました。大きな歓声と拍手と共に、この村がオールライツビレッジとなることを確認し合いました。一行は、記念式典が開催される仮設テント会場に向かい、村人に挨拶を行った後、村の家を訪問しました。
訪問した民家は、木造のとても簡易な構造で、壁は竹を編んで作られています。部屋の中には寝具以外の家具らしいものはなく、壁や屋根には隙間が目立っていました。この村は小型の水力発電機があるため、家の中で豆電球を灯すことができますが、生活に十分とはいえません。また、十分な水量がないと電気を使うことができません。日本人は到底想像できない生活環境です。
子どもたちも学校に行くために1時間以上も山道を歩かなければいけないため、雨が降れば学校にいけないという状況です。中には貧困生活の中で子どもを学校に行かせる意欲のない親たちもいます。実際、8歳の子どもで数字を書くことができない子どもに会いました。
一行は家庭訪問を終えて、テント会場に集まり、記念式典が始まりました。
まずは、アンティス村長は、「日本からわざわざインドネシアのこのような遠い村に来て頂き、支援をして下さって心から感謝します」と述べました。
また、プロジェクトパートナーであるインドネシア最大のイスラム社会団体ナフダトゥル・ウラマーのボゴール支部長のKHロムドン師がプロジェクトサイトにかけつけてました。同師は、「ボゴール地域を担当するNU指導者として、今、恥ずかしい思いがします。なぜなら、日本人の方が私よりも先にこの村の事情を知り、そして支援をすること決めて下さったからです。
今後、GPFFと一緒にこの村の発展のために協力していきたいです。そのためにも、村の子どもたちがNUの小中高のイスラム宗教学校で学ぶための奨学金を出すことを約束します」と述べ、村人たちは大きな拍手で応えました。
続いて、GPFF Japanの後藤亜也代表理事は、「皆さんの心温まる歓迎に感謝します。このプロジェクトは子どもたちが日没後でもしっかり勉強できるよう支援するものなので、是非、皆さんが子どもたちが勉強できるように見守ってあげて下さい。また、このプロジェクトは2年前の東日本災害の直後、インドネシアが災害支援のために尽力して下さったことへの“お返し”の意味もあります」と述べました。
その後、アンティス村長と後藤代表理事が、姉妹結縁状に署名し、村の発展に寄与する決意を互いに確認し合いました。また、続けて、ソーラー充電LEDライトを寄贈。それに続き、他の代表団も姉妹結縁状に署名。その後、子どもたちと一緒にダンスを踊り、一気に雰囲気は盛り上がりました。村の人は代表団と一緒にエコバッグに記念の絵を書いて代表団にプレゼントしてくれました。
その後、日本からの代表団は、LEDライトを全家庭に寄贈し、オールライツビレッジのサインボードの前に村の人と一緒に輪になって集まりました。司会の合図で一斉にLEDライトを点灯し、大きな歓声が上がりました。村に希望の光が灯された記念すべき瞬間となりました。
この村の位置するプンチャック地域は避暑地として有名で、国内外の富裕層が別荘を所有している場所です。しかし、別荘の周辺には貧困な村落が広がり、隠れた人身売買という深刻な社会問題もはびこっています。実質イスラム教徒が90%以上を占めるインドネシアは、イスラム教徒は宗教的結婚の儀式が行われないと男女が性関係を持つことができません。
現地では、斡旋業者がアレンジして、若い女性を希望する男性に「契約結婚」させる影のビジネスが存在しています。貧しい家庭はわずかな収入を得るために、女子を身売りさせているのです。そのため、このような貧困地域では、収入を得る手段を提供する社会起業活動が必要となっています。
今回、会社経営者で作家のハリマ・ムナウィル女史が一緒にプロジェクトに参加しました。彼女はプロジェクトサイトの近くのタリコロット村で100人が使用できるコミュニティセンターを昨年12月に完成させたばかりでした。
そのセンターを使って竹細工などを作って収入を得る技術指導をすることを計画しています。貧困が女性の人身売買になっている現状を打開するためのプログラムです。彼女はオールライツビレッジの村でもこの社会起業プログラムを展開することを約束しました。
一行は村人たちとの別れを惜しみながら村を後にし、ボゴール県庁での歓迎夕食会に向かいました。公用で参加できない県知事に代わって、ノルハヤンテ長官が、「地域の発展には電力が必要ですが、まだ行き届いていない地域が沢山あります。日本の方々がそのような場所を支援して下さってとても感謝します」と歓迎の言葉を述べました。
翌30日、トリサクティ観光大学での交流会に参加しました。トリサクティ観光大学は、2010年にGPFFがインドネシアで開催されて以来継続してGPFFの国際プログラムを支援している大学です。ジョコ・スディビョ学長、スリ・スラティニングラム副学長らの手厚い歓迎を受け、学生たちの本格的なパフォーマンスを楽しみました。
午後には、ナフダトゥル・ウラマー(NU)の本部を表敬訪問。KHマスディー・シュフッド事務総長や3人のNU関係機関(情報、福祉、災害対策)代表者から、NUの主旨や活動が報告されました。
同事務総長は、「NUは1926年に創設され、現在、インドネシアに7千万の会員があり、21万校以上のイスラム宗教学校があります。また、日本や海外主要国に支部を持っています。NUはあらゆる違いを超えて平和を創ることを目的としていますので、NUの学校からはイスラム過激派は一人も出ないことを保証します。GPFの皆さんがどこに行ってもNUの現地の指導者がサポートすることを約束します」と語りました。
最終日の31日、一行は独立記念塔モナスで観光を楽しんだ後、イスティクラル・モスクに訪問。イスラムの祈りについて学びました。伝統的なインドネシア料理の後は、大統領顧問が所有するNEWSEUMという政府高官などが会議場として使用する場所を見学。陳列している写真や絵画の説明を聞きことができました。グランド・インドネシアでショッピングを終えて、一行はジャカルタ国際空港に向かいました。
今回、日本から代表団がオールライツビレッジ支援ツアーに参加し、ボゴール県のパセバン村の全家庭にLEDライトを提供できました。このツアーを通して、パートナー団体との結束を深め、共に地域開発のために協力することを確認することができました。GPFインドネシア財団は、今後、大学機関とともに地域開発の評価モニタリングを行う計画を持っています。