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家族のような関係が生まれる2013.07.09 |
ハン・ソンミンさんの桑茶会社に桑の葉を提供していた生産者の中でも一番の出荷量だった長田英俊さん。50年以上も養蚕農家として働き、ハンさんに専門的なアドバイスもしていました。その長田さんが2011年に75歳で突然他界されました。一人暮らしとなった妻の長田栄子さんは桑栽培をあきらめ、畑を放置しようと考えていました。しかし、ハンさんは、お世話になった長田さんの桑畑の手入れを引き受け、長田栄子さんを継続して支えてきました。
<長田栄子さん(74歳)のインタビュー>
―長田さんが最初にハンさんに出会った時の印象はどうでしたか?
長田:うちのお父さんも仕事辞めて大工していて、それでたまたま近隣の人が桑の葉をハンさんの会社に提供していて、じゃあうちも入れてもらうかという時に、このハンさんと出会いました。また面白いんですよね(笑)。最初に会った時から私はすごい青年だと思いました。
目上の人をすごく大事にするのです。20年も前の昔の話ですけれど私と主人で韓国に旅行に行った時に、韓国の若い人は目上の人をとても大事にするという話を聞きました。それでやはりハンさんも目上の人を大事にする人でした。私たちに出会った時は既にこの山梨のしきたりというか風習にすごく馴染んでいて、日本のことわざや山梨の方言もできるし、本当に大した人だなと思いました。
ハンさんはうちに来るのをいつも楽しみにしてくれました。それで桑摘んで持ってってもらったんだけど、お茶を飲んだり、奥さんも来てくれてね。とにかく面白いのよ、冗談もよく言うし。私たちがハンさんの会社に行った時は、車寄せもやってくれました。「お母さん、お昼食べてきな」って感じで言ってくれますし、ご夫婦で本当にいい人たちですよ。そんな出会いでかれこれ4年になりますかね。
―ハンさんが市川三郷町に来て雰囲気は変わりましたか?
長田:そうですね。最近は取材の人も来て、子どもたちもテレビに映るからと出てきたり、新しく農業を始めた青年もやってきたりして変わりましたね。
―少しずつ若い人も増えているということでしょうか?
長田:やっぱり若者が入ったということで活気が少しは違いますね。村で人手が必要な時は「お願いこれやって」って年寄りは頼めますからね(笑)。
―先ほど畑を見せていただきましが、あの畑をハンさんが管理されているわけですね?
長田:そうですね。前はうちの主人とか私も摘んでいましたけど、私も怪我をしてしまって、怪我をしてしまうと畑も歩けませんからね。
―勾配がとてもきつい畑ですよね。
長田:とても危ないので桑摘むのはやめて山にしてしまおう(畑を放置して自然に戻すこと)と思っていたところに、ハンさんが俺が借りてやるからって言ってくれました。
―それを聞いた時どう思われましたか?
長田:私ももう諦めていたんです。お父さんがいないと桑は摘めないし、ハンさんだってこの畑を自分で手入れするなんてことは大変なので、さすがに無理だろうと思ってこの畑をどうするか子どもとも相談していました。でもハンさんがやってくれることになって本当によかったです。
―やっぱり山にするより畑のまま維持する方がずっとうれしいですよね。
長田:そうですね。私が畑に行った時に山になってたら、お父さんがいなくなったせいで畑がこうなってしまったと自分が惨めな気持ちになってしまうでしょうけれど、ハンさんが来てくれることで桑の成長を見るのが楽しみです。
―実際誰も手をつけなくなると桑はどれくらいで山になってしまうものなのですか?
長田:蚕をやっているときはこの時期(6月)に全部切って、また伸びたものを9月にまた切るのでそんなに長くならないですけど、このまま置くと1年でも本当に長くなりますね。
―一度そうなってしまうと元の畑に戻すのは大変でしょうね。
長田:それをハンさんがやってくれたんですよ。畑を荒らしておいても仕方ないのに、私は何もいらないと言っているのに、ハンさんは桑が取れたらきちんと謝礼を届けに来て下さいます。
―ハンさんからお手紙を受け取ったと伺いましたが。
長田:そうなんですよ。この前、来た娘が持って行ったんですけど、あの手紙がうちの子どもに人気なんですよ。
―テレビで紹介されたあの手紙ですね。私も手紙を拝見してとても感動しました。
長田:ハンさんがテレビでお父さんのことを「山梨のお父さんです」と言ってましたが、うちの子どもが「じゃあ、私とハンさんは義兄弟だね」って言ってました。
―本当に家族みたいですね。
長田:そうですね。ハンさんがいてくれて本当にうれしいです。なんかお互い言いたい放題で(笑)みんな地域の人と仲が良いですよ。
―今日は、貴重なお話を聞かせて下さり、ありがとうございました。