HOME >  改めて共生とは何かが問われそうな2021年

改めて共生とは何かが問われそうな2021年2021.01.26 | 

 2021年が始まりました。
 新年早々、国内においては緊急事態宣言が11都府県に出され、アメリカでもトランプ前大統領支持者による連邦議会議事堂乱入事件が起き、5人が死亡するという衝撃的な事件が起こりました。

 1月20日のバイデン新大統領の就任はスムーズに行われたものの、トランプ前大統領やその支持者たちは選挙の不正を訴えており、日本の中にもその動きに同調する人たちが一定数います。

 2016年の大統領選でも、トランプ氏はヒスパニック系の不法移民やムスリム系の人たちを敵視する過激な発言で注目を集めました。当然、民主党やリベラルな人たちは猛反発したわけですが、トランプ氏はそれらの勢力との敵対姿勢を明確にすることで、「リベラル嫌い」の人たちの強い支持を得たわけです。
 その背景には、黒人やヒスパニック、移民、女性、LGBTをはじめとする性的マイノリティの権利擁護には熱心だが、自分たちを置き去りにしていると感じる白人貧困層(特に男性)の存在がありました。グローバル化による生産拠点の海外移転、外国人労働者の流入などによって、「割を食っている」と感じている人たちです。

 トランプ氏はそれらの人たちの不満をすくい上げ、社会の分断をうまく利用する政治的手法を取りました。「敵」を定義し、Twitterを使って怒りを煽るやり方ですね。
 サミュエル・ハンチントンは、著書『文明の衝突』の中で、

 人びとは自分が誰と異なっているのかを知ってはじめて、またしばしば自分が誰と敵対しているかを知ってはじめて、自分が何者であるかを知るのである。

 と述べましたが、トランプ氏の政策が好きというより、リベラルが嫌いだからトランプ氏を支持するという人も多かったようです。日本の「ネトウヨ」にも見られますが、日本の伝統に対する敬意や愛着というよりも、「韓国や中国が嫌い」ということがアイデンティティになってしまっているわけです。

 その分断をさらに加速させたのはやはりSNSでしょう。金沢大学教授で哲学者の仲正昌樹氏は次のように述べています。

 対立する意見に耳を傾けようとせず、もっぱら自分を肯定し、味方として共感してくれる人とだけ付き合って、それで“社会”を分かったつもりになっている人間が(SNSを)利用すれば、偏見を増幅する装置にしかならない。アメリカの憲法学者サンスティン(1954~)は『インターネットは民主主義の敵か』(2001)で、政治的に偏った見方をする人たちが、インターネット上で仲間とだけ付き合うことで、それが世論であると思い込み、偏った意見が増幅されていくことをサイバーカスケードと呼んで危険視した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6b64ccb0d7d6e0a5cb96f7d0b8bd057e5334efe2?page=3
( )内は引用者

 以前、この小欄でも「フィルターバブル」について取り上げたことがありましたが、サイバーカスケードがエスカレートし、最終的には連邦議会乱入まで引き起こし、トランプ氏のTwitterのアカウントがBANされてしまうのは何とも皮肉なことです。

 ただそのことをもって、トランプ政権の4年間を全否定してしまえば、今度はリベラルの側から分断を引き起こすことになります。バイデン政権の政策がどうなるかはこれからでしょうが、前政権の政策の冷静な検証と「引継ぎ」を期待したいところです。

 日本はと言えば、今年オリンピック・パラリンピックはできるのでしょうか?菅首相は、「人類が新型コロナに打ち勝った証し」にしたいと18日の施政方針演説で決意を述べました。
しかし、「県外からのコロナを持ち込んだ」ということで大騒ぎになり、感染者が糾弾されるような日本で、海外からお客さんを呼び、そこ由来で感染が広がったときに大きなハレーションが起きるのではないかと心配です。さらには、日本に住んでいる外国人への偏見や差別につながるという危険性もあります。

 2020年はとにかくコロナに対してソーシャルディスタンスを取ることで対抗してきました。2021年はソーシャルディスタンスが分断につながらないように、共生のための適切な「距離感」を探る年になりそうですね。

前のページへは、ブラウザの戻るボタンでお戻りください。
このページのトップへ