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祭りを通してブラジル人と共生する群馬県大泉町2014.04.30 |
群馬県大泉町は、富士重工(スバル)や三洋電機(現パナソニック)などの工場があり、1970年代後半から80年代から人手不足のため、外国人労働者を受け入れてきました。
1990年の入管法(出入国管理及び難民認定法)改正に伴い、日系二世・三世及びその家族に対し3年間滞在可能(延長可能)な「日本人の配偶者等」「定住者」査証の発給が認められ、「活動の制限のない」、つまり労働者としての活動が認められようになりました。その結果、大泉町にはブラジルをはじめとする南米からの労働者が入ってきており、人口約4万人のうち、約6,000人が外国人(40カ国以上)であり、中でもブラジル人は4,000人と人口の一割を占めています。
その中で、このような外国人たちを重要な「観光資源」と位置付けて、共にサンバカーニバルや「活きな世界のグルメ横丁」などのイベントを行っている大泉観光協会の小野 修一副会長にお話を伺いました。
―大泉町に住んでおられる外国人はどこの国の方が多いのですか?
一番多いのはもちろん南米系ですが、最近中国、そしてベトナム、トルコが増えています。インドネシアは昔からいます。企業が研修生として受け入れています。
―インドネシアの方は研修生としてですが、ブラジルからは日系の方などを移民として受け入れられているのでしょうか?
日系の方たちは帰化したいという人たちと、ブラジル国籍のままでいいという人たちが半分半分くらいじゃないでしょうか。入管法で日本人とまったく同じ生活ができるのは今のところ日系三世までと考えられています。しかし、日本の参政権はありませんけどね。
今、観光協会にいる職員は四世ですが、様々な規制があって、ビザの更新をしないといけません。
―日本人の血を引いているかは調べたら分かるのでしょうか?
分かります。
日系と呼ばれる方で一番多いのは南米系ですよね。それとあとは最近ですとフィリピン系の人たちも目立ってきています。まあ、ハワイやカナダの方はまずその日系の方がこちらに来ることはまずないと思いますから。その辺が日系と呼ばれている人たちの中で南米系が多い理由でしょうか。
―やはり日系の人に法が適用されるというのは、見た目が日本人でもともと日本民族という括りがあるわけですよね?文化的に馴染みやすいといいますか。
法律的に血で差別したとも言えます。どうして三世まではよくて四世はダメなのかと言われても、それが現行法ですからね。
―実際こちらに来られた日系の方というのは、日本語は話すことはできないんですか?
話せない方が多いですね。
―文化的にも日本人じゃないようなところはありますか?
見た目はどっちだろうという人も多いですよ。日系の人たちが向こうの人と結婚して家族と一緒に来た場合には、旦那さん或いは奥さんは完全に向こうの人だから見た感じにも外国人ですね。
―実際に地元の労働人口が減ってきたという状況が出てきたのは何年ぐらい前の話なのでしょうか?
70年後半から80年でしょうね。その時には不法就労と呼ばれている方たちがけっこういました。東南アジア系やイラン、バングラデシュパキスタンなどです。
しかし、規制が厳しくなって国に帰らざるを得なくなった人たちもいました。その中でも日本人と結婚した東南アジア系の人たちはここに住んでおられます。
その結果、労働者がいなくなりました。地元の学校を卒業して、地元の企業に就職すればいいのですけれど、その頃は高度経済成長の時代ですから地元の若い人たちは東京だとかそっちの方に行ってしまいました。富士重工や三洋電機はともかく、その下請けさんの人手不足は深刻でした。
そして、政治家に働きかけて90年の入管法改正になったわけです。
―労働者として日系人を受け容れて、その方々は当然家族がいたり、日本で家族ができたりするわけですが、その子どもたちが置かれている状況はどうなんでしょうか?
クラスの3分の1が外国人という学校もあります。学校では日本語、自宅では母国語という生活になっています。子どもたちが混乱しないように、ポルトガル語の学校や講座も行っています。
―それだけ外国人の方が多くなってくると、もともと地元にいた方との間にコンフリクト(摩擦や対立)が生まれてくるのではないかと思いますが、いかがですか?
サンバを始めた時は、初めは珍しいということで2、3年は見られたけれども、そのうちいろんなとこから「あんなもの見せていいのか」と苦情が出てきました。
ちなみに大泉町には戦後、米軍キャンプがありそれが10何年か続いていました。外国人に慣れているのかと思っていましたが、やはりブラジル系というのはまた別ですからね。言葉や生活様式などの文化の違いは、「肌が合わない」というような直観的な違和感です。
例えば、ゴミの問題ですが、彼はポイ捨てが当たり前だと思っています。それを片づけることは私たちにとっては当たり前ですが、向こうの文化ではそれを片づける人がいて、その人がいないと生活が成り立たないという違いがあります。
お祭りに関して言うと、1992年か93年頃のお祭りの時にブラジルの人たちも一緒に混ぜてやることになりました。初めの2、3年ごろは珍しいもの好きで20万人もの人がサンバを見に他県からも来るわけですよ。それで交通は混乱するし、ああいう恰好しているから子どもの教育に良くないという意見もあって、1996年か97年頃に終わってしまいました。もちろん、当時は日本経済が厳しくなって、スポンサーがつかなくなったというのも大きいですね。
サンバカーニバルは2007年に再開したのですが、その10年の間に日韓のワールドカップが2002年にありました。あの時にブラジルが優勝して、大騒ぎになりました。物は壊すし、車もボコボコにされた人も何人もいて、県警の機動隊まで出動するほどでした。
ですから、「ブラジル人はひどい」ということで町の雰囲気がかなり反ブラジル的になりました。でも、他の町の人からは「サンバを見たい」という要望は毎年のように出てきて、何とかしないといけないということで、民間の団体として観光協会が立ち上がったんです。
―観光協会は民間の団体なのですか?
一応設立してから何年かは補助金を貰っていますが、運営はすべて民営でやっています。この町には歴史的な遺物のような観光資源は一切ありません。そこで、ここに住んでいるブラジル人そのものが観光資源じゃないかと考えたわけです。ですから、ブラジルのレストランやお店、そして文化を紹介しています。そして、私たちは、観光客にこの町に来て、できればブラジル人と友だちになって欲しいと考えています。
昔ブラジル人たちは、ブラジル人たちだけをお客にして商売をしていました。完全にブラジル人のコミュニティだけで完結していたわけです。そこで私は「4,000人だけを相手に商売していてどうする。この町には10倍の人がいるんだぞ」と、日本人相手に商売することを勧めました。
例えば、レストランも昔は完全に南米系の味付けで日本人の口には全然合いませんでした。それが日本人の嗜好に合わせた味付けやメニュー、サービスにしていくことで、日本人がリピーターとなっていったんです。
しかし、またこれに反発する人が出てくるわけです。地元の商店街の飲食店は、どうして観光協会はブラジル人ばかりを相手しているんだと言いました。でも、いかにこの町に観光客を呼び込んで、お金を落としてもらうかが重要なのであって、そのきっかけがブラジルのお店であって、そこから波及していくのではと期待しています。
―ブラジル人の方と一緒にイベントや企画を作り上げていく難しさはありますか?
当然、私たちと一緒にやらない人たちもいます。自分たちで別にカーニバルをやろうという人たちも出てきます。それをまとめようというのは、特に南米系は無理ですね。また、ペルー人だけでやろうとすると、ブラジル社会が反発しますし、一緒にやろうというのは難しいです。
また、「大泉まつり」という7月の最終土日に行われるお祭りがあるのですが、その中でも日本人と外国人の棲み分けのようなことが起きています。お祭りのメインストリートからちょっと入った広場などは完全に日本じゃないですね。
―日本における今後の外国人との共生についてのご意見を教えてください。
一言で言えば、普通に付き合うことです。外国人と意識するから一歩引いてしまって、言うべきことがいえなくなるのは違うと思いますね。私は本業が社会保険労務士で、仕事上法律がバックボーンにありますからどこの国の人だろうがこの国の法律はこうなっているということで普通に話します。別に日本人同士でも意見が合わなければ嫌いになるんですから、同じことだと思いますよ。
人口がこんなに多いわけだから外国人犯罪が多いのもある意味当然です。日本人だって犯罪って多いわけですから。しかし、犯罪が起きた時、外国人だとやはり目立ってしまうわけです。結果として外国人の犯罪率が高いというイメージができるわけです。
―小野さん自体がもともと外国人の方でも同じ人間という考え方を持たれていらっしゃったのでしょうか?
少なくてもこの地域で仕事していく上ではそう見ないとダメだと思っています。昔から不法就労であろうと労働者としていろんな国の人たちがいて、そういう人たちが事故を起こしたり、被害を受けたりしていたわけですから。日本の法律が及んでおり、本人だけならいいけどその家族がいるわけだから、外国人だから、不法滞在だから知らないってわけにはいかないでしょう。労働基準法では国籍で差別してはいけないと言っているわけですし。
今の韓国や中国との対立に関しては、メディアの対立を煽るような取り上げ方にも問題があると思いますね。そのためにも個人レベルで友人を作るような関係作りが以前にも増して必要になってきているのでないでしょうか。