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アメリカ人高校生として初めて北朝鮮へ行ったロシア系アメリカ人、ヴラジミール・ソモブさん回顧録12020.11.25 |
北朝鮮での私の夏:旅をふり返って(パート1)
元の記事はコチラより。
下記のストーリーは、ロシア系アメリカ人のヴラジミール・ソモブさんが神秘と論争に覆われた国:北朝鮮へ単身旅行した際の魅力的な経験を三回にわたってお伝えする、第一回です。彼の両親はアメリカに移住する前はソビエト連邦で生まれ育ちました。英語もロシア語も流暢であることを活かして、彼はロシアの飛行機会社を通して2019年の夏に北朝鮮を訪問したアメリカの高校生で初めての高校生となりました。
以下、本人の回顧録からです-
飛行機の車輪が北朝鮮の首都である平壌に降り立った時、私は何が私を待ち受けているのか見当もつきませんでした。私はその時、世界で最も秘密の多い国家に一人で到着し、北朝鮮を訪問した最初のアメリカ人高校生になりました。
私の母はジャーナリストをしており、今回のことは全て、実際のところ、母が2・3年前に北朝鮮から帰国した際に私に投げかけた、次のたった一言から始まりました。「北朝鮮はソ連と似ていてソ連を思い出させる地上で唯一の場所だった」
私の両親は二人ともソ連で育ち、その後アメリカに移住しました。そして私はアメリカで生まれました。私はその瞬間思いました。「本当にこの国を見てみたい」と。そして、私の両親がどこからやってきたのかを理解し、私の両親が何を通して生きていたのか理解して、自分のルーツを知りたいと思いました。
アメリカのドナルド・トランプ大統領は北朝鮮への渡航を禁止しましたが、私は二重国籍を持っていたため、私はロシアのパスポートを使って1週間、2019年の夏に北朝鮮に行くことができるようになったのです。
北朝鮮におけるこの1週間は、私の人生において最も短くもあり最も長い一週間でもありました。私が全く異なる社会や文化を理解するという挑戦を行うことになったからです。
ツポレフ(旧ソ連・ロシア製の大型爆撃機・旅客機)製造のTU-134A-3
写真:アレクサンダー・マーキン
私は、北朝鮮航空の旧ソ連のTU-134旅客機に搭乗して平壌に飛びました。北朝鮮に入る道は2通りの方法しかありません。
すなわち、中国経由かロシア経由かです。飛行機は非常に古かったので、私は飛んでいる間に空中分解しないか心配になりました。私と同じ飛行機に残った旅行者はほとんどがロシア人の旅行客か、ロシアで働いていた北朝鮮の人々でした。飛行機のトイレのうちの一つは使用不能になっていました。なぜなら、自分たちの国に商品を持ち運ぼうとしていた北朝鮮の人たちのスーツケースで一杯だったからです。
飛行機を降りると、ほとんど他の飛行機は飛行場にはないことに気づきました。飛行場全体でそこにいる人々は、私と一緒に飛んできた他の乗客とスタッフたちだけでした。30人を少し超えたぐらいしかいませんでした。私はロシア人として通行する唯一のアメリカ人でした。
飛行場は一見するとしゃれてモダンな感じでした。しかしながら、お土産を買うキオスクもありませんし、服を売っている店もなく、フードコードもありません。そして、恐ろしいほどに静かでした。その時です。私はライフルや他の武器で武装した男女の警備員が束になって近づいてきていることに気づいたのです。
入国審査で質問を受けた後、一人の警備員は私を立ち入り禁止区域に連れていき、そこで私のカバンの全ては標準的な金属探知機に通されたのです。
その後、二人の警備員は私をわきに呼んで、私にバッグとポケットの中身を全部出して空にするように命令したのです。不快な結果が起こるのではないかと心配になって、私はその指示に従いました。警備員は私が持ち込んだすべての本の1ページ1ページを探し回りました。私のSAT(大学進学適性試験)準備用の本やヘンリー・キッシンジャー著作の「中国について」という本を含めてです。彼らは、私が不法なもの、すなわち反北朝鮮的なプロパガンダや反金正恩的なプロパガンダを含むものを一つでも持ってきていないかということを確かめたかったのです。
警備員はまた、私が反北朝鮮的な写真や「インタビュー」という北朝鮮についての政治的風刺のような映画を持ち込んでいないか確かめるためにしていたのです。
その時、二人の人が現れて、自分のことをハン(男性)と金(女性)だと言いました。二人は私の旅行の期間、私のガイドをしますと言いました。二人が言うには、私は私の滞在中、一人では何もすることはできないだろうと言います。そして、私のためにスケジュールを作成してあると言いました。特に、二人は、いくつかの観光名所、北朝鮮と韓国の国境であるDMZ(非武装地帯)や恩恵と勝利の博物館、首都平壌の観光に連れて行ってくれると言います。
ヴラジミールさん(中央)と、北朝鮮滞在中にガイドしてくれたハンさん(左)と金さん(右)。
写真提供:ヴラジミール・ソモブさん
少し不快とか非現実的であるということをはるかに通り越して、私が眠っていることさえもずっと見張っておくつもりでないかとさえ私は不安になりました。短い時間ですが、私は世界で旧ソ連のようなものが残っている唯一の場所を訪問するという考えは間違った考えだったかもしれないと思いました。
この話はパート2の「2つの世界の境界線」に続きます。
【著者のヴラジミール・ソモブさんについて】
ヴラジミール・ソモブさんは非常に若い年齢から多くの国を旅行し、外国の情勢や国際関係、政治に関心を深めてきました。ロシア語と英語のバイリンガルでもありますが、フランス語や韓国語にも精通しています。北朝鮮と米朝関係に関して近日発刊される予定の本(トニー・ナムクング博士著)の主要調査員を務めたりするなど北朝鮮に関する卓越した見識を持つ専門家であり、ホワイトハウスのアドバイザーも務めています。彼はまた自分が通う学校の新聞の編集員でもあり、また、聖アルバンス学校のロシア・アジア国際文化関連クラブの創設者でありその会長も務めています。