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脱北者・川崎栄子さんの実体験から考える普遍的人権と北東アジアの未来 | 2025.04.24 | 

2025年4月19日(土)、「脱北者・川崎栄子さんの実体験から考える普遍的人権と北東アジアの未来」(第11回ピース・デザイン・フォーラム)が開催されました。登壇者の講演内容や質疑応答の内容を以下にまとめました。

◾️ 川崎栄子さん講演「私が見た北朝鮮〜人権という概念のない社会」

私は在日コリアン2世として日本で生まれ、17歳のときに家族を日本に残して一人で北朝鮮に渡りました。子どもたちを結婚させ、43年間をなんとか生き延びた後、60歳を過ぎて脱北しました。

子どもたちを結婚させた後、「このまま人生を終えるのか?」と考えた時に、ありえないと思いました。外の世界にこの国のことを伝えて解決しなければならないと思いました。60歳での脱北は無謀なことでしたが、緻密に計算をして、どうすれば国外に出られるかを考えました。自分の子どもにも、どんなに親しい友だちにも一切脱北に関する話はしませんでした。

私は飢餓を乗り越えるために食堂を経営していたので、「商売の種を探るため」という理由をつけて中朝国境へ向かいました。そして恵山に着いた途端、私は作戦として、すべて日本製の服装に着替えました。遠くから見ても一目で日本から来た人間だとわかるようにしました。恵山にはブローカーが必ずいます。案の定、私を見つけて声をかけてきました。

「川の向こうに市場があるのですが、そこに行ってみませんか?」

このような場合、ブローカーは絶対に「脱北させる」とは言いません。そこで私はブローカーが要求する金額の倍額を渡して、安全に行けるようにと約束させました。私が目をつけたとおり、その人は賢いブローカーでした。

そのときは渇水期だったので、昼間に鴨緑江(アムノッカン)を普通に歩いて越えて、中国側に行くことができました。河川敷の向こうにある5メートルの石垣を渡るのは大変でした。

ブローカーは三段階までバトンタッチしましたが、最後の3番目が最も大物でした。ブローカーはみんな朝鮮族なのですが、その人は朝鮮族としては出世した人で、高等裁判所の判事まで務めた人でしたので、外を出歩いて怪しまれてもその人の名前を出せば何も言われない状況で、助かりました。こうして無事に脱北は成功しました。しかし、もしもその日に国境を渡っていなかったら、だめでした。翌日にSARSで国境閉鎖になったのです。

それからは、「中国の国籍を買い、中国人として日本に入れば良い」と勧められました。日本にいる弟に国籍を買うのに30万円が必要だと伝えたら、生活費も合わせて50万円を振り込んでくれました。しかし振り込まれた50万円をブローカーは全部自分のものにしてしまい、それでも「返せ」とは言えない立場でした。通報でもされたら捕まるからです。その代わり、日本語を学びたい中国人をたくさん紹介してくれたので、中国人に日本語を教えてお金を作りました。結局、中国籍を買って日本に行く方法は弟が反対したため、中国籍は他の人にあげて、自分で日本の領事館に連絡して、日本に戻ってきました。

北朝鮮での人権に関して言えば、43年間暮らしながら、本当にひどいものでした。人権とか自由という言葉は、存在しないのと同じでした。「自由」という言葉を使ったら、共産主義に反対する反動分子だとみなされます。

金日成のときには細々とでも配給がありました。しかし1994年7月8日に金日成が亡くなると、金正日はその途端に配給をなくしてしまいました。配給にすがって生きてきた人たちは生きる術がなくて、そこから大量餓死の時代に入りました。配給を与えずに人々を餓死させながら、金正日はそのお金で太陽宮殿(金日成の墓)を作ったのです。

私が北朝鮮に行った目的は、社会主義社会とはどういうものなのかを知りたいと思ったからです。税金がない国とはどういうことなのかを知りたかったのです。自分の目で確認したもの以外は私は認めない性格ですから。しかし行ってみたら、本当にとんでもない国でした。「税金がない国」というのは、確かに納める税金はありませんが、国民が働いて生み出した価値のほとんどを国が持っていき、国民には配給がもらえる程度のぎりぎりのお金しか与えないという、「ぼったくりの国」という意味でした。

95年からは「苦難の行軍」と言われ、ものすごく人が死んだ時期でした。人がどこで死ぬかというと、みんな駅で死にました。みんな行くところがなくて駅に集まってきて、ぎゅうぎゅうで背中合わせに座りました。そのまま人が死んでいきました。死ぬとどうなるかというと、その人の体についていた「しらみ」が、他の人に移って行くために、さーっと移動していきました。身の毛がよだつような情景でした。

都会では金正日の命令で、死体が見えないように片付けることになっていました。夜のうちに人が死んで、朝までに片付けるようになっていましたが、それでも昼間にも死体を見ました。そうやって人が死ぬくらいですから、詐欺、恐喝、暴力、人殺し、最後には人肉を食べるなど、本当に考えられない、悪という悪がすべてあふれていました。それを目の当たりにしながら、私は小さい頃に見た宗教画の「地獄絵図」というのは、想像で描かれたものではないと思いました。実際に歴史の中でこんな時代があったのだと思いました。それを本当にこの目で見たのです。

北朝鮮はそんな状況で、「自由」とか「人権」とか、そんな言葉は誰も知りません。世界中で唯一、それらの言葉を知らない国です。本当に私は情けないし、恥ずかしいと思っています。朝鮮民族はそんなばかな民族ではなかったはずなのに。昔のヨーロッパの奴隷でも、今の北朝鮮の状況よりはましだったのではないかと思います。

移動の自由もなく、一歩でも郡をまたごうと思えば、旅行証明書が必要でした。ですが、旅行証明書があっても警察が来れば、何かにつけてすぐに捕まります。そうすると賄賂を出さない限りは出られません。だから最初から賄賂の分を準備しておかなければなりません。警察はちょっと行ったり来たりすれば、車の中に(賄賂でもらった)高級タバコがいっぱいになるのです。そんな摩訶不思議な国が北朝鮮です。

43年間、それでも生きて日本まで帰ってこられた私のような人間というのは、使命があるというか、北朝鮮の問題を必ず解決しなければならないと思っています。今も北朝鮮にいる私の12人の家族とは、コロナ前に連絡が取れたのが最後で、その後はどうなっているのかわかりません。

北朝鮮の問題が解決すれば、この地球上の問題はだいぶ解決するのではないかと思っています。自由も人権もなく奴隷のように生きているのは北朝鮮だけです。そのことを知っている人間が解決しなければなりません。しかし、言葉で伝えるだけ、訴えるだけではどうにもなりません。具体的にどうするかを考えなければなりません。それで私は裁判をしました。金正恩を相手にした裁判では高等裁判所まで勝訴したので、今後、朝鮮総連をどうするかを考えています。

◾️ 対談(川崎栄子さん × 五味洋治さん)

五味:私は30年間、朝鮮半島問題を取材してきました。その中で川崎さんからもお話を伺いました。「人権のない国は北朝鮮しかない」というご指摘は、本当にその通りだと思います。昨年から北送事業(北朝鮮帰国事業)についても取材をしており、大変参考になりました。他の脱北者の方々にもお会いしていますが、43年の体験をもとに人権問題として訴えを続けてこられた方は、川崎さんだけです。川崎さんは高校生の頃、社会主義とはどのようなシステムかを知りたくて北朝鮮に行かれたとのことですが、実際にご覧になった北朝鮮式社会主義の問題点はどこにあったとお考えですか?

川崎:まず、北朝鮮は独裁国家であって、社会主義国家ではないと思います。もちろん社会主義国家も矛盾があって成立しません。計画経済は必ず破綻します。私が大学で学んでいた当時は、まだ図書館に日本統治時代の本が残っており、ギリシャ哲学やヘーゲル哲学も学ぶことができました。社会の基礎は経済で、その上に政治があります。北朝鮮ではその政治が社会主義・共産主義とされていました。マルクスとエンゲルスは、理想的な社会の典型として社会主義・共産主義を挙げましたが、基礎部分である経済システムに計画経済を導入したのが間違いだったのです。自然発展ではなく、決まったものを売れなくても作るという制度でした。

国営のお店には、誰も使わない男性用の折りたたみナイフが大量に積まれていました。「これ、何に使うの?どうするの?」と同級生に聞くと、「そうね、去年、計画書を書いた人が数字を間違ったんじゃない?」と答えました。誰もおかしいと思っていませんでしたが、資本主義社会で育った私には、違和感しかありませんでした。

1980年代の終わりに社会主義国が次々に崩壊していったときも、私は驚きませんでした。崩壊すべくして崩壊したのだと感じました。北朝鮮は社会主義というよりも、独裁体制が強く出た社会だと思います。

五味:日本からの帰国者が厳しい差別を受けたという話も聞きますが、実際はいかがでしたか?いわゆる「金づる」として扱われたという指摘もあります。

川崎:本当に差別がひどかったです。人民班の中で帰国者と話してよいのは、班長と党秘書の二人だけでした。それ以外の人とは話すことすら許されなかったので、帰国者同士で集まり、さらに孤立していきました。北朝鮮には核心階級、動揺階級、敵対階級という階層があり、敵対階級はほとんどが処分されたり収容所に送られており、すでに市内にはいなくなっていました。そのため、残された私たち帰国者は、存在する中では最底辺に置かれていました。軍隊に入ることもできず、教師、事務員などにもなることができませんでした。「ないないづくし」とはまさにそのことです。まるで自分が缶詰の中に閉じ込められたような気持ちでした。

五味:朝鮮総連の幹部の子どもたちは、日本で歯の治療を受けたりしていたそうですね。

川崎:そうです。総連幹部の娘さんが、親が亡くなった際に日本に来て葬儀に参加したという話も聞きました。しかし、一般の人々はどんなにお金を出しても北朝鮮から出ることはできませんでした。私の同級生は、日本の実家から多額の送金を受けて、地方から平壌に引っ越して暮らしていました。お父さんが亡くなったとき、お母さんが「一人息子だから葬儀だけには参加させてほしい」と朝鮮総連に訴えましたが、それでも許されませんでした。何十億も北朝鮮に貢献してきた家族でさえ、です。北朝鮮側は、日本からの送金を当然のことだと考えており、感謝の気持ちは一切ありません。1979年には「合営法」という法律ができました。お金を持っている帰国者は、すべてターゲットにされたのです。(合営法:1984年に北朝鮮で公布された法律で、在外同胞との合弁企業を認めるもの)

◾️ 講演:普遍的人権から見た北東アジアの未来(GPF Japan 芳岡隼介)

芳岡氏は川崎栄子さんの証言を踏まえながら、北朝鮮の人権状況が世界でも最悪水準である背景を、制度的・思想的に分析しました。北朝鮮では憲法よりも上位に位置づけられる「朝鮮労働党10大原則」によって、独裁者に従わなければ人権が認められない体制が維持されています。

これに対し、アメリカ独立宣言や日本国憲法に見られる人権の理念は「人間を超えた存在から与えられる、犯すことのできない永久の権利」という考え方に基づいています。この「普遍的人権」の価値を北朝鮮の人々にも保障することが、北東アジアの平和の出発点であると訴えました。

また、日本自身にも見つめ直すべき過去があるとして、北朝鮮帰国事業(在日北送事業)を取り上げました。日本から北朝鮮に渡った約9万人の中には、日本国籍を持つ人が約7000名もいました。この帰国事業は国連からも「強制失踪」と認定されています。この歴史的責任に真摯に向き合い、普遍的人権を守る国としての姿勢を国際社会に示すべきだと提起しました。

最後に、北朝鮮の人権問題や分断の課題に包括的に取り組むためには、朝鮮半島の平和統一を目指す大胆なビジョンが必要であると述べ、「自由で統一されたコリア」の実現を目指す「コリアンドリーム」のビジョンと、その実現のための市民運動を紹介しました。日本からもこの動きに連帯し、共通の価値に基づく平和構築に貢献していくことを呼びかけました。

◾️ 質疑応答
質問①:北朝鮮ではどこの家庭でも韓国ドラマを見ていると聞きますが、一方で韓国ドラマを見たという罪で中学生が一斉に公開処刑されたというニュースを見ました。USBメモリーで北朝鮮にK-POPその他の情報を送るという方法は、北朝鮮の政権崩壊につながるのでしょうか?

川崎:北朝鮮で自由に韓国の映画やK-POPを観ることはできるというのは嘘です。厳しく規制されています。私もラジオを聴くときは、布団をかぶってこっそり聴いていました。風船で飛ばしたものも、一般市民の手には届かないことが多いです。大抵の情報は中朝国境沿いで、中国経由で売人から手に入れます。ですから内陸に行くほど、入手が難しいです。子どもたちが銃殺されるのは、見せしめのためです。韓国ドラマを観たからといって銃殺されるなんて、とんでもないことです。そのような国が北朝鮮なのです。

五味:北朝鮮の指導部が韓国ドラマに危機感を持っているのは事実です。法律を作って規制し、韓国への憧れを持たせないようにしています。「韓国ドラマに出てくる空港や高速道路はミニチュアで、偽物だ」と教育しているようですが、実際にドラマを観ると、本物にしか見えません。それが危険だと感じているのです。また、北朝鮮の人々が韓国ドラマに魅力を感じる理由の一つは、愛情表現が自由に描かれている点です。北朝鮮では、愛情は指導者に対して示すものであると教えられてきました。情報だけで政権が崩壊するとは思いませんが、若い世代が動揺することを懸念しているのは確かです。

質問②:今後の安全保障について、どうしたらよいとお考えですか?日本も核保有すべきなのでしょうか?
五味:今後を左右する要素の一つは、トランプ元大統領が北朝鮮とどう向き合うかです。もしアメリカが北朝鮮の核保有を事実上認めて、在韓米軍を減らすような動きがあれば、韓国でも核武装論が強くなる可能性があります。実際、ソウルでは核武装に関するフォーラムが頻繁に開かれています。もう一つの要素は中国の動きです。もし韓国や日本までもが核を持つことになれば、中国は強く警戒するでしょう。日本は被爆国ですから、私は日本が核を保有することはないと信じています。緊張をこれ以上高めないためにも、日米韓の協力体制を強化して平和を維持するのがよいと思います。

川崎:私も日本と韓国の核武装には絶対に反対です。今の世界には、地球を何度も破壊できるほどの核兵器が存在しています。その一部だけでも地球が吹き飛んでしまうほどです。ですから、核を減らしていく方向に進むべきです。核というのは、人間の手には負えないものです。日本は福島の原発事故でそのことを痛感しました。初めから、どの国も核武装などするべきではなかったのです。私たちがしっかり注目し、日本と韓国が核を持たないよう訴え続けなければなりません。緊張が高まって、どこかの国が誤って核を使用してしまうかもしれません。それをどう防ぐかが人類の課題です。アニメの中では、核戦争で荒廃した地球が描かれていますが、そう遠くない未来に現実になってしまうかもしれません。全世界が注目し、核兵器が一発も使われないようにしなければならないのです。日本は被爆国として、世界の先頭に立って核兵器廃絶を訴えるべきです。

質問③:脱北の過程で、最も大きな挑戦は何でしたか?また、それによって川崎さんの人生観にどのような変化がありましたか?
川崎:私は他の脱北者のように、脱北中に命の危険を感じた経験はありません。北朝鮮に行った当初、日本人妻は3年ほどで里帰りできると言われていました。ですので、自分もその頃にはその人たちと一緒に日本に戻れるのではないか、という期待もありました。しかし、実際には二度と出られませんでした。そのため、私はずっと脱北のことを考えていました。大学生のとき、知り合い3人が一緒に脱北したのですが、そのうちの1人が鴨緑江の冷たい水で足がつってしまい、流されました。仲間が中国の公安に助けを求めたことで救出されましたが、北朝鮮に強制送還されて痛めつけられ、24時間の監視下に置かれました。結局、大学は卒業したものの、医師の資格は与えられず、山奥に送られてしまったのです。この出来事から、「脱北はよほどの準備がなければ成功しない」と理解しました。

朝鮮半島では、子どもの結婚までは親の責任とされています。ですので、自分の子どもたちをすべて結婚させたとき、私は還暦を迎えていました。このまま北朝鮮で人生を終えるのかと考えたとき、それは絶対にありえないと思いました。それで脱北を決意したのです。長年にわたって綿密な計画を立て、お金も準備しました。そして、無事に中国までたどり着くことができました。

幸運にも、中国で出会ったブローカーは権力を持つ人物でしたので助けられました。しかし、他の脱北者たちが中国でどれほどひどい目に遭っているかも目の当たりにしました。人身売買や臓器売買の被害に遭う人もいます。北朝鮮で極限状態まで飢え、ようやく脱北したにもかかわらず、中国で悪質な人々に命を奪われた人も少なくありません。

質問④:北朝鮮崩壊論は金日成や金正日の時代にもありましたが、実際には崩壊しませんでした。金正恩政権は崩壊すると思いますか?また、「崩壊」とは具体的にどのような状況を指すのでしょうか?
川崎:私は、北朝鮮はすでに崩壊の段階を超えていると思います。他の国であれば、とっくに政権は崩壊しているはずです。しかし、独裁体制であるがゆえに、形だけは維持されています。金正恩自身もその状況を理解しているはずです。ただ、命を奪われることを恐れているのでしょう。私は、金正恩を処刑するのではなく、生かしておいてよいと思います。トランプ元大統領が再び金正恩と会い、「政権を手放す代わりに命は助ける」という交渉を行うべきだと思います。また、韓国との統一もすぐにはできません。北朝鮮の国民の生活水準は韓国と比べてあまりにも低く、そのまま統一するには無理があります。一度、国連の統治下に置いて、資本主義の仕組みを学び、ある程度の水準に達した段階で、南北統一が可能になると考えます。

五味:情報が制限されていることで、どれだけひどい状況でも北朝鮮は外見上、国家の体裁を保っています。韓国でも「北朝鮮が急に崩壊すると困る」という声が少なくありません。経済格差や社会思想の違いが大きすぎるためです。重要なのは、北朝鮮をどのように方向転換させて、できる限り「軟着陸」させるかということです。今後、トランプ元大統領が北朝鮮にどう対応するのかを注視したいと思います。

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