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「北東アジアの未来のためのビジョン 〜最大の難題、朝鮮半島問題を中心として〜」をテーマと第1回コリアンドリームZoom勉強会を開催しました | 2025.05.26 |
2025年5月24日(土)「北東アジアの未来のためのビジョン 〜最大の難題、朝鮮半島問題を中心として〜」をテーマとして第一回コリアンドリームZoom勉強会を開催しました。
本勉強会は、韓国でベストセラーとなった書籍『KOREAN DREAM 統一コリアへのビジョン』の内容をもとにしながら、朝鮮半島の統一と東アジアの平和構築の可能性について考えるZoomウェビナーシリーズです。北東アジアの平和構築のための活動を行ってきた弊社(GPF Japan)と、朝鮮半島の平和的統一を目指す一般社団法人アクション・フォー・コリア・ユナイテッド(AKU Japan /川崎栄子代表理事)の共催で行っていきます。
毎回、北朝鮮での43年間の体験をお持ちの川崎栄子さんのお話を聞くとともに、書籍『コリアンドリーム』の内容から現在の国際情勢を紐解いていきます。
初回となる今回は、川崎さんの分断された祖国や、統一への思いを語っていただきました。また、コリアンドリーム1章の解説をGPF Japanの芳岡隼介が行い、最後に参加者との質疑応答の時間も設けられました。
以下、話された内容の要約です。
川崎栄子氏 「分断された祖国と統一への思い」
分断された祖国──分断されてからすでに80年が経ちました。日本の植民地から解放されると同時に、韓半島は2つに分けられました。そのことがもたらした不幸は計り知れません。1,000万を超える離散家族が、行き来もできない状態で80年もの歳月を過ごしてきました。すでに亡くなった方もいらっしゃれば、0歳で分断を迎えた方は80歳になりました。私は当時3歳で、もうすぐ83歳になります。一人の人間の一生としては非常に長い年月であり、地球の時間から見れば一瞬かもしれませんが、分断はあまりにも長く続いてきました。
朝鮮半島が分断される中、日本に暮らしていた在日コリアンもまた、北朝鮮を支持する「朝鮮総連」と韓国を支援する「民団」に分かれました。その中で、朝鮮総連は大きな罪を犯しました。金日成氏と当時の朝鮮総連議長ハン・ドクス氏の指導のもと、24年間にわたり北送事業が行われ、93,340人もの人々が送り出されました。その地はまさに地獄のような場所でした。彼らのうち98.5%は韓国にルーツを持つ人々で、北朝鮮出身者はごくわずかです。
彼らは「素晴らしい社会主義の建設をしている北朝鮮で共に暮らし、数年後には金日成主席が統一を果たし、故郷に錦を飾る」という嘘を信じて送り出されました。しかし、誰一人として韓国の故郷へ帰ることはできず、北朝鮮で亡くなっています。私も両親は韓国出身ですが、自分にとって北朝鮮だけでなく朝鮮半島全体が「故郷」と言えるのかどうか、正直なところ少し違和感があります。韓国は両親のルーツではありますが、私はその地で生まれたわけではなく、一定の距離感があります。
一方で、北朝鮮では非常に辛く、命を脅かされるような時間を過ごし、「幸福」という言葉を適用できる瞬間はありませんでした。このような分断がもたらした不幸は、南の人々にとっても、北の人々にとっても、計り知れないものです。
1990年代後半、金日成主席の死後に起こった大飢饉の時代には、数百万人もの人が餓死しました。現代において、飢餓で死ぬ人がいるなど信じ難いことです。あちこちに餓死者が横たわっている光景が広がっていました。このような状況の中で、何とかして韓半島の問題を解決できないかと考えました。
このまま北朝鮮で死んでいいのか?自問自答の末、脱北
北朝鮮の中にいる限り、何もできません。意思表示すら許されませんでした。私は還暦を過ぎて、「このまま北朝鮮で死んでよいのか」と自問自答しました。そして「それは許されない。この北朝鮮がどういう場所であるかを国際社会に知らせなければならない」と決意しました。そのために、国際社会の協力を得て、この問題を何としても解決しなければならないと強く思ったのです。
私は一人で脱北しました。そして、日本に到着して脱北ルートを確保した後、家族全員を脱北させるつもりでした。娘とその子どもたちは脱北して日本で暮らしていますが、いまだに北朝鮮には12人の家族が残っています。
日本では文通もできましたし、電話で年に一度、声を聞くこともできました。また、日本から物資を送り、家族が生き延びるための支援もしていました。しかし、コロナ禍で金正恩が国境を完全に閉鎖してからは、一切の連絡が取れなくなってしまいました。
最後に家族の消息を聞けたのは2019年11月のことです。末の娘が国境まで来て中国の電話を借り、私に連絡をくれたのです。そこで家族の状況を知り、少しだけお金も送ることができました。しかし、2020年以降は今日に至るまで、生死すらも分からない状態が続いています。私は暗澹たる日々を送っています。
北朝鮮問題の解決は、統一以外にない
その次の課題は「統一」です。統一というテーマに向き合う中で、私は切実な思いを抱いておりますが、それを実現することは非常に難しいという現実も痛感しています。
統一というテーマを考える際、北朝鮮の問題は統一以外に解決の道がありません。しかし、それに先立ち、まずは北朝鮮の体制崩壊が必要です。その後、たとえ45年かかったとしても、北朝鮮の人々が「自由とは何か」「民主主義とは何か」といった概念を学ぶ期間が必要です。
北朝鮮の人々には、そうした概念がほとんどありません。彼らは上からの命令に従って生きることしか知らないのです。したがって、統一の前に「クッションとなる時間」が絶対に必要だと考えています。
そしてその後、韓半島は統一されるべきだと思っています。
私は本も執筆し、北朝鮮の最高指導者である金正恩氏を被告とした裁判も日本の司法機関に提起しました。日本の司法機関には本当に感謝しています。高等裁判所では、私たちの主張を全面的に認め、勝訴判決を出してくれました。現在は、最後の差し戻し裁判が残っており、それが終われば5人の原告それぞれ1億円の回収に入ります。しかし、それによって北朝鮮の体制を揺るがすことには至りませんでした。
私は韓国の皆様にも訴えたいと思っています。韓国にも今、主人(大統領)がいない状況の中で朝鮮半島の統一を目指すことは決して容易なことではありません。地球規模で考えても、韓半島の統一問題は最優先されるべき課題です。
現在、世界の癌とも言えるのが北朝鮮です。北朝鮮と朝鮮半島が平和になり統一が成し遂げられれば、地球規模での平和が保障されると信じています。このような癌を残したまま、次の世代に朝鮮半島を引き継ぐことはできません。次の世代には、統一された朝鮮半島、平和が保障された朝鮮半島を引き継がせるべきです。そうでなければ、私たちの世代の罪となってしまいます。
拉致問題解決も他の問題解決と共に、統一によって
私はどのようなことがあっても、朝鮮半島の統一問題から目を背けることなく、民主主義を推進する活動を続けたいと考えています。さまざまな方法がありますが、たとえば拉致問題も深刻です。かつて小泉首相が北朝鮮を訪問し、金正日総書記が拉致を認め、5人の被害者が帰国しましたが、依然として多くの拉致被害者が残っています。
しかし、拉致問題だけを進めても解決には至りません。北送問題についても、国連はそれを「壮大な意味での拉致」と認めており、私もその認識は正しいと考えています。拉致という問題だけをクローズアップしても、北朝鮮の本質的な問題の解決にはつながりません。
北朝鮮が崩壊するとなった場合、内部の証拠を隠滅するために、多くの人が犠牲にされる可能性もあります。ですから、どんな手段を講じてでも、生存している人を返してもらう必要があります。拉致問題の関係者とともに、「生きて帰ってきてこそ、真の拉致問題解決だ」との思いで、日本の全ての力を結集し、拉致問題解決に向けた圧力を加えるべきだと思います。
また、北送被害者やコリアンの皆さんと連携し、少なくとも北送された人々の自由往来だけでも認めさせる必要があります。それだけでも大きな成果となるでしょう。現在、彼らはまるで缶詰の中に閉じ込められたかのように、何の行動も起こせない状況です。保衛部に連行され、質問されただけで処罰を受ける──そんな理不尽な社会です。連行された理由を問うことすらできない、摩訶不思議な制度の中に閉じ込められているのです。やられたらやられっぱなししかない国、それが北朝鮮です。
統一のビジョンを共有すべき時
そのような状況を変えるためにも、皆が力を合わせて「統一へのビジョン」を共有することが大切です。今まさに、ギリギリの瀬戸際に来ていると感じています。ロシアのウクライナ侵攻を知ったときは、大変なショックを受けました。その日の朝、私はすぐに郵便局に行き、5万円の寄付を行いました。世界中が協力してウクライナを勝利に導かねばならないと強く感じたからです。
北朝鮮が無謀な戦争を起こさないよう、国際社会は断固とした態度を取らなければなりません。ロシアが優位な状態で戦争を中断したりすれば、北朝鮮に「自分たちもやれる」と思わせてしまいます。実際、金正恩氏は韓国との関係を断ち、敵対国として位置づけており、その背後には明らかに「攻撃の意図」があります。
日本は決して対岸の火事ではありません。日本もまた戦火に巻き込まれる可能性があります。沖縄の米軍基地が攻撃されることもあり得ますし、日本本土にもミサイルが飛んでくるかもしれません。だからこそ、私たちは力を総動員して、朝鮮半島の平和を守らなければなりません。
そして、皆が立ち上がる時こそ、その平和は現実となるはずです。「一人の人が見る夢は夢に過ぎませんが、皆が同じ夢を見れば、それは現実になる」──これはかつてチンギス・ハンが語った言葉だと伝えられています。私はこの言葉を本当に素晴らしいと感じています。この言葉のように、地球の平和を願って皆が心を一つにしたとき、きっと前途には平和が現れるはずです。
朝鮮半島の分断は、地球規模の問題です。視野を広げ、自分自身が何をなすべきかを真剣に考えてください。何か一つでも行動を起こしてこそ、朝鮮半島をはじめとする地球規模の問題の解決が見えてくるのではないでしょうか。朝鮮半島の統一を考える際には、日本をはじめ世界各国が連携し、北朝鮮やロシアを封じ、不正が勝たない世界を築いていくべきだと私は信じています。
芳岡隼介氏 「北東アジアの未来のためのビジョン」
北東アジアの未来を考えるとき、朝鮮半島問題が最大の難関であるとともに、最も重要な鍵でもあると感じています。統一は単なる民族の統合ではなく、東アジア全体の平和秩序を構築するための試金石です。川崎さんがおっしゃるように、統一は全世界的な視点で考えるべき課題です。
「コリアンドリーム」──これはかつて韓国でベストセラーとなった書籍で、統一コリアに向けた明確なビジョンを提示しています。専門家たちは現実を分析しつつ、統一に向けた過程とプロセスを語るのが常ですが、この本ではそれとは違う大胆な主張をしています。すなわち「統一したコリアはどのような国であるべきか」という未来像を共有です。
このビジョンを明確にすることが、統一の実現にとって非常に効果的だと私は考えます。統一とは、単に南が北を吸収することでも、北が南を制圧することでもなく、両者が共に納得できる新しい国家の建設です。
このような構想は、韓国社会が抱える矛盾を克服し、北朝鮮が変化していく姿を通して、世界が抱える課題を乗り越えるモデルとなる可能性を秘めています。朝鮮半島は四大国に囲まれた地政学的に極めて重要な地域であり、統一はその大国間の対立を乗り越え、平和的共存の触媒にもなり得るのです。
統一コリアのビジョンは、現実を見据えながら理想を描いています。そしてそれは、ただの分析にとどまらず、行動を促す呼びかけでもあります。韓国ではAKU(Action for Korea United)をはじめとした市民団体の連合体が「コリアンドリーム」に賛同し、日本では川崎さん代表理事であるAKU Japanが、GPF Japanとともに活動を進めています。
2012年にはフェスティバルも開催し、さまざまな市民の皆さまが参加できる草の根の運動として広がっています。「ワンドリーム・ワンコリア」運動も、世界中にいるコリアンディアスポラとつながり、国際的な署名活動やイベントを展開しています。
たとえば昨年、38度線に近い臨津閣では3万人が集い、うち1,000人以上が脱北者でした。夜にはドローンショーが行われ、「コリアンドリーム」の文字が夜空に浮かび上がりました。今年は8月15日にソウルの半眼公園で同様のイベントが予定されており、署名活動や1万円の寄付によるドローン購入で参加することも可能です。
また、東アジア全体の地政学的な状況を見ても、朝鮮半島はまさに台風の目のような存在です。朝鮮戦争は、韓国と北朝鮮の間の争いにとどまらず、ソ連や中国、そしてアメリカも介入した世界規模の戦争でした。現在もまた、米中対立、米ロ対立といった新冷戦構造が固まりつつあり、朝鮮半島はその中心にあります。
ある専門家は「六色の碁石で碁を打つような状況」と表現しました。どの国も自国の利害を優先し、統一への支援と同時に牽制もし合っている複雑な構図です。ですから、統一を単に民族の願いとしてではなく、国際社会全体の安定と発展のための共通課題としてとらえることが重要だと考えます。
このような複雑な状況の中で、私たちは「勝者と敗者を作る統一」ではなく、「共通の利害と理想に基づいた統一」を模索しなければなりません。権威主義を打倒するためだけの闘争ではなく、互いの違いを尊重しながら、共通の理想に向かって協力する形での平和の実現が求められます。
そのためには、現実の延長線上ではなく、「画期的な変化」を起こすようなビジョンが必要です。たとえば、歴史を振り返れば、チンギス・ハンは「一つの天の下で一つの世界を築く」という壮大な夢を持ち、それを実現しました。彼は戦争を繰り返していたモンゴルの部族を統一し、多様な宗教や文化を受け入れ、能力によって登用することでパクス・モンゴリカという時代を築いたのです。
また、アメリカも「神の下の一つの国家(One Nation Under God)」という理念を掲げ、制度以上に個人の自由と尊厳を守る国家として、世界に影響を与えました。アメリカ独立宣言では「すべての人は創造主によって平等に造られ、不可侵の権利を与えられている」と謳っています。その理念はリンカーンやキング牧師など、多くのリーダーによって受け継がれてきました。
このように、人類の歴史の中で画期的な変化を起こしてきたビジョンの力を、今私たちは改めて見つめ直すべきだと思います。そして、朝鮮半島を平和に統一するためにも、どのような原則や価値観に基づいた国家を築くべきか、真剣に考える必要があります。
韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる急速な発展を遂げましたが、その中で失われた価値観や社会的な矛盾もあります。北朝鮮は自由や人権が欠如した社会であり、互いに大きな課題を抱えています。統一は、どちらかがどちらかを吸収する形ではなく、新しい国家として、韓国と北朝鮮の良い部分を融合させながら築かれるべきです。
たとえば、「自由統一コリア」という表現に北朝鮮が警戒心を抱くのであれば、社会主義の良い要素も取り入れた新しいモデルを模索する必要があります。北朝鮮の人々が納得し、自らの意思で参加できる国作りこそが求められているのです。
また、南北に共通する精神的基盤として「弘益人間(世界に広く益をもたらす)」という理念があります。これは、朝鮮民族の建国神話である檀君神話に基づく理想であり、古代から受け継がれてきた価値観です。さまざまな王朝が交代しても、「どうすれば弘益人間の理想を実現できるか」という問いが受け継がれてきました。
今こそ、その理想を実現する時です。南北の対立を超えて、周辺国との対立も克服し、平和をもたらすような国家を築く──それが「コリアンドリーム」の核心であり、朝鮮民族の運命とも言える目標です。
Q. 60周年を迎えた日韓関係ですが、選挙の結果によってどう変わると思われますか?脱北者の立場から、日韓関係をどうご覧になっていますか?
A. 朝鮮半島の情勢は非常に複雑で、選挙の結果によって大きく変化するというよりも、むしろ根本的な構造の問題が横たわっていると感じています。たとえば、かつて主体思想が韓国社会で広まることを許してしまった政権がありました。その影響が今も残っており、韓国の混乱につながっているのではないかと思っています。個人的には、保守政権がある程度力を持って安定的な方向に導いてほしいという願いがあります。
Q. 北朝鮮の悲惨さについて教えてください。
A. 思い出すだけでも恐ろしいです。人間の生活に不可欠な「衣・食・住」のうち、特に「食」が完全に破壊されていた時代がありました。そのため、数百万もの人々が餓死しました。飢餓の中で生き延びるために、詐欺、盗み、暴行、殺人、さらには人肉を食べるという話もありました。私は地獄のような現実を直接見てきました。知人の家族が30万円の現金を狙われて惨殺されるという悲惨な事件もありました。人間の尊厳が保たれない社会で、人間性すら崩壊してしまう恐怖を感じました。
Q. 金正恩氏の後継者問題については、どのようにお考えでしょうか?
A. 金正恩氏が幼い娘を連れて公の場に姿を見せるようになりましたが、彼自身も十分な政治訓練を受けておらず、感情的で無謀な決定をしてきた印象があります。仮にその娘が後継者となっても、北朝鮮のような体制下で真のリーダーとして成長するのは非常に困難だと思います。個人的には、現体制が長く続くとは考えておらず、いずれ何らかの形で変化が訪れるだろうと見ています。
Q. 北朝鮮の民衆が「自由」や「民主主義」を知らないまま統一された場合、どのようなことが起こると予想されますか?
A. クッションとなる移行期間がなければ、大きな混乱が起こる可能性があります。秩序が崩れ、犯罪や暴力が頻発し、武力衝突に発展する恐れもあると思います。民衆の意識や価値観が変わるには時間が必要です。
Q. 北朝鮮に残されたご家族との思い出を教えていただけますか?
A. 一番上の娘は非常に優秀で、全国外国語大会で上位に入賞し、元山経済大学へ進学しました。しかし、日本からの帰国者という立場のため、社会的には差別されていました。特に孫は成績も優れ、スポーツや芸術にも才能がありましたが、政治的団体のトップにはなれず、なぜ自分は選ばれないのかと私に問いかけてきました。とてもつらい思いでした。
Q. 在日コリアンの方々の中で、統一に向けた動きはありますか?
A. 多くの在日コリアンの方がさまざまな形で統一運動に関わっていらっしゃいます。表に出る方は少ないかもしれませんが、水面下では多くのつながりがあります。日本に住むコリアンの皆さまとも協力しながら、一緒に未来を築いていければと願っています。
Q. 北朝鮮の各家庭にはテレビが設置されていますか?
A. 私が北朝鮮にいた当時は、テレビ自体の生産が行われておらず、多くは中国製の白黒テレビや、日本から送られたものが主でした。都市部でも、18世帯で構成された人民班のうち、半数以上の家庭にはテレビがありませんでした。テレビを所有している家庭に近所の人々が集まり、皆で視聴するのが一般的でした。そのような文化は、ある意味で温かさを感じるものでした。
Q. 川崎さんが北朝鮮で商売をされていたときの苦労や工夫について教えてください。
A. 大飢饉の時代には配給制度が全廃され、餓死者が次々と出ていました。私は料理が得意だったため、パンやかりんとう、羊羹などを作り、それを仲介の人を通して売ってもらいました。しかしそれだけでは家族の命をつなぐことが難しく、初めて日本の母にまとまった支援をお願いしました。届いたお金は25万円でしたが、実は母には50万円が渡されていたものの、朝鮮総連の宣伝を信じて半分しか送らなかったと後から聞きました。友人が10万円を追加してくれたおかげで、計35万円で食堂を開業しました。金正日政権下では個人経営が一時的に許可されていたので、その制度を活用し、家族と従業員を餓死から守ることができました。
この勉強会は、GPF JapanとAKU Japanの共催により、シリーズ形式で継続的に開催される予定です。それぞれの回でテーマは違いますが、単独で参加されても理解できるものとなっております。ぜひ、今後もご関心をいただき、ご参加ください。