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多文化共生のモデル的な事例を紹介します~宮城県気仙沼市のフィリピンコミュニティ2013.08.19 | 

 

 2011年3月11日の東日本大震災は宮城県気仙沼市でも千人以上の犠牲者を出す甚大な被害をもたらしました。家屋や職場を失った住民が気仙沼から離れていく中、気仙沼に残ることを決め、介護ヘルパーの資格を取り、老人介護やデイケアの現場で福祉の仕事に従事するフィリピン人が注目されています。彼女たちは「バヤニハン気仙沼フィリピノコミュニティ」として、「バヤニハン」(タガログ語で「助け合いの」の意味)の精神を生活の中で実践し、日本の地域社会に元気を与え続けています。彼女たちは、震災後の6月から「バヤニハン気仙沼ラジオ」を開始。毎月第4金曜日午後8時から1時間のラジオ番組を通して、互いに助け合っています。

 8月4日、気仙沼市を訪問し「バヤニハン気仙沼フィリピノコミュニティ」の会長の高橋レイシェルさんを始めメンバーの方々や、「バヤニハン気仙沼」のメンバーから慕われ、気仙沼市役所で外国人をお世話している村上伸子さんにお話しを伺いました。

津波で打ち上げられた漁船「第十八共徳丸」は解体が決定した

津波で打ち上げられた漁船「第十八共徳丸」は解体が決定した

鹿折地区の仮設店舗「復幸マルシェ」

鹿折地区の仮設店舗「復幸マルシェ」

老人ホームで披露するダンスの練習を終えたばかりの「バヤニハン気仙沼フィリピノコミュニティ」のメンバー <写真右から:高橋レイシェル(会長)、及川ジェニー(副会長)、軍司マリヴエル、紺野クリスティナ、伊藤チャリト(事務局長)>

老人ホームで披露するダンスの練習を終えたばかりの「バヤニハン気仙沼フィリピノコミュニティ」のメンバー <写真右から:高橋レイシェル(会長)、及川ジェニー(副会長)、軍司マリヴエル、紺野クリスティナ、伊藤チャリト(事務局長)>

バヤニハン気仙沼フィリピノコミュニティ会長の高橋レイシェルさんをインタビュー

バヤニハン気仙沼フィリピノコミュニティ会長の高橋レイシェルさんをインタビュー


― 「バヤニハン気仙沼」はいつから活動しているのですか?

レイシェル:バヤニハンのコミュニティ自体は震災の前からありました。17年くらい前になります。もともとのリーダーは南三陸市の方にいます。彼女も震災後、自分の地域が忙しくて他に手が回らなくなったので、私は副会長だったので私が気仙沼のバヤニハンのリーダーをしなさいと言われました。気仙沼だけだと74名のメンバーがいます。

― 震災後、介護のお仕事をされていると聞きました。

レイシェル:震災前から介護の資格を取りたい人はいましたが、日本語がわからない人が多かったので、あまり介護の仕事はできませんでした。震災後、支援団体のJAR(認定NPO法人難民支援協会)から何かできる仕事はありますかと聞かれた時、その時は何もなかったのですが、介護の資格がもらえるならと、やらせていただくことになったのです。最初は皆日本語などいろいろ不安があったのですが、今こうしてできるようになりました。

― 何人ほどのフィリピンの介護ヘルパーの方がお手伝いされているのですか?

レイシェル:介護の有資格者が24名くらいで、実際仕事しているのは9名です。

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特別養護老人ホームで勤務中の軍司マリヴェルさん

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紺野クリスティナさんはデイサービスセンターで働いています

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社会福祉法人施設で働く伊藤チャリトさん

― レイシェルさんは日本に来られたのはいつですか?
レイシェル:私は1989年に仕事で来て、結婚したのが20年前で、その時からずっと気仙沼に住んでいます。

― バヤニハンの方々のラジオはいつから始まりましたか?

レイチェル:ラジオは震災後、6月から始まりました。収録してからデータを神戸市の放送局に送って、全国のインターネット放送、地域ラジオ局で放送されます。毎第4金曜日、午後8時から9時、放送しています。私はミキサーの機械の方を担当していて、ラジオのメインのアナウンサー、コミュニティーの情報、文化、そそして気仙沼弁の担当者がいます。

伊藤チャリトさんの自宅で行われるラジオの収録
伊藤チャリトさんの自宅で行われるラジオの収録
伊藤チャリトさんにインタビュー
伊藤チャリトさんにインタビュー


― 何語で放送するのですか?

レイシェル:タガログ語、日本語、英語とか。あと気仙沼弁も(笑)です。

― ラジオ放送の目的は何ですか?

チャリト:フィリピン・コミュニティのためのラジオなので、私たちの活動をラジオを通して知らせることが目的でした。

― 視聴者からはどのようなフィードバックがありましたか?

チャリト:はい、ここでがんばっているので、私も頑張りますと言った励ましの内容をいただきました。

― 今はどういうコンテンツが中心ですか?

チャリト:コミュニティの行事などのお知らせですね。あとは新しく気仙沼に来たフィリピン人たちのための日本語講座などです。全国で聞いてる方も対象です。

― 外国の方が日本で結婚し、生活すること自体大変だと思うのですが。

レイシェル:確かに何度なぜ私はここにいるんだろうと思ったことはあります。でも子どもができると考えも変わって、面白くなってきて、震災で他の人たちは気仙沼からいなくなってしまいましたけど、私たちはまったくそんなことを考えませんでした。やっぱり家族はこちらにいるし、まわりの人とも皆仲がいいので、ここにいないとさびしくなるのです。もちろんフィリピンにも家族はいますが、私はここにいたいと思っています。

― フィリピンの方でも故郷に帰った方も多かったと伺っていますが、気仙沼に引き留めた一番の理由は何ですか?

レイシェル:気仙沼という町が好きだからです。この場所がいいんです。冬もそんなに寒くないし、食べ物が一番おいしいです。人がとても優しいです。

― 震災後、日本の方と問題はありませんでしたか?

ジェニー:もともと交流はあったし、みんなで避難所に行って、震災だから皆一緒ということで日本人もフィリピン人もなく助け合いました。そこで日本人たちの私たちに対する見方が少し変わったというのもあります。最初はお互いギャップがあったのですが、私はこれじゃいけないと、自分からワンステップ踏み出していかないと何も変わらないと思って、色々な地域の人とお話したり、行事に参加したりして、それから楽しくなって変わっていきました。

― フィリピンの方はとても明るくてエネルギッシュですね。特に被災地はそういう元気な人が必要なところですし、そういった面でとても貢献していると思うのですが、ご自身ではどう思いますか?

レイシェル:震災後は皆辛くて暗いのが顔に出ているのを見ながら、このままただ自分の場所に引きこもってばかりだとよくならないと思ったので、例えば1週間に3回はみんなで食べたりワイワイしたり、泣いてもいいから自分の気持ちを出していいようにしていけばいいと思いました。それで結局ほぼ毎日助け合いでした。

― 介護は大変なお仕事だと思いませんか?

クリスティナ:大変ですけど楽しいです。お話ししながら聞いてくれて笑ってくれることが気持ちいい感じです。人の助けになることが私たちにとっても喜びです。

― 介護をされているフィリピンの方はどれくらいいらっしゃいますか?

クリスティナ:最近もう一人増えて全部で9人になりました。

― 9人の仕事場は同じところですか?

クリスティナ:いいえ。たまたま5人は同じ会社の同じ場所です。私たちも楽しかったしいっぱい思い出もあります。(仕事場の)大船戸は少し遠かったのですが、雪の日も嵐の日も朝早く5時半には起きて1時間半かけて通いました。5人が1台の車で行くので皆がどこかの駐車場集まってから行くんです。

― 全国に数あるフィリピンコミュニティーの中でも気仙沼のフィリピンコミュニティーの特徴とは何ですか?

レイシェル:そうですね、明るさが一番ですね(笑)。介護についても早く学びたいので、責任者の方にお願いしますとしつこいくらいに頼み込みますね。頑張らないといけないという思いもあります。やっぱりチャンスは1回だけなのでつかまないと。今だけしかないからやらないといけないと思ってやっていました。最初は皆不安で漢字とか読めなくてどうしようとか、このチャンスを逃したらずっと介護の資格を取れないんじゃないかとか。
でも皆がんばっておかげさまでここまでやってこられました。日本にどうして長く住むことができるかを考えると、自分の気持ちの問題だと思います。言いたいことは出して、謝る時はちゃんと謝るとか、そういうのは当たり前として、もう一つはEnjoy yourself、ここにいるなら自分で楽しくしないとね。

― GPFFではフィリピンの電気のない村に行くことがありますが、道路もない山の中の村で皆幸せそうにしているんです。子供たちが笑って歓迎してくれて、本当に元気をもらいます。

チャリト:フィリピン人は何もなくても家族と一緒にいれば幸せですね。結婚してもみんな家の中で一緒。孫も含めてとても大家族です。

― 日本の方々へのメッセージはありますか?

レイシェル:自分の人生は一回しかないので楽しく生きるということです。どんな大きな事故や事件があっても自分で楽しんで乗り越えていくということです。一回しかない人生を大事にしてください。

― 日本人に対する要望は?

ジェニー:若い介護士がすぐやめる。お金もそうだけど、年取ったら、私こんなのあったんだという思い出を作って、いろんな人間と出会うことが大切です。

― 日本人はもう少し頑張ってほしい、って感じですね。

ジェニー:そうですね。はい。

マリヴエル:がんばっぺし(気仙沼弁)(笑)

復興イベントでバンブーダンスを披露
復興イベントでバンブーダンスを披露
花を植えて気仙沼町つくりにも貢献
花を植えて気仙沼町つくりにも貢献

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気仙沼みなと祭りでも元気に踊って行進

●村上伸子さん(気仙沼市震災復興・まちづくり推進課)
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― 気仙沼でのフィリピン・コミュニティはどのようにご覧になっていましたか?
村上:日本語教室などで震災の前からも知っていたんですが、震災の後、すごく近くなったという感じでしした。震災直後にフィリピンの人たちが大丈夫なのかと聞きに行ったときに、「フィリピンの人は全員無事なので心配しないでください」と言われたんです。一番最初にほぼ無事だと分かった国籍の方がフィリピンの方だったのです。しかも、フィリピン人60人の単位で安否確認ができました。すでにまとまって団結していたというイメージでした。
― 地元の外国人の方が来られて、日本の方の受け止め方は?
村上:ここ20年、気仙沼に住む外国人は増えてきたのですが、ほぼ全員がアジアの方が中心で、フィリピン、中国、韓国などの方々が多いです。自分の家にお嫁に来た方以外は関係がないという感じがあったと思いますが、今ではフィリピン、中国の方がいらしゃっても前と比べて普通だなと感じるようになりました

― 外国の方の発想の違いなどがあると思いますが、分かり合うのに時間はかかりますか?

村上:分かり合うというより、彼女たちの努力の方がずっと大きいと思いますよ。フィリピンの方に限らず、彼らの溶け込もうとする努力を知ることが大切だと思います。日本語を話していますし、読み書きも努力されているので、そのことはすごいと思います。分かり合うというような国際交流ではなくて、日々の生活なので、誰かが気づいて、頑張っていると思う方を一人でも増やすことです。

― フィリピンの方ならではのポジティブな面がありますか?

村上:もちろんあります。介護ヘルパーを始めて2年ですが、どこにいっても皆さんの仕事ぶりは認められています。日本人とは違う視点で、日本人以上にお年寄りの心をつかむのが上手だったり、盛り上げるのがうまかったり、そういうところでのあり方というのは日本人も見習わないといけないこともあります。そういうところを努力しないけわけではないんですが、さらっとやってのけるところに感心します。

気仙沼には、カトリック教会や幼稚園や、新教の支部もありますし、キリスト教の方は生活に根差した感じがあります。

村上:国籍別でいうと、フィリピンの方々はカトリック教会のつながりがあるので、NPOのつながりも一番強かったかも知れません。バヤニハンのように組織的に目に見える活動はフィリピンの方の特徴です。震災の前からも皆さんの活動を知っていましたが、震災の後、初めて、皆さんのことははっきりと分かりました。

― 気仙沼市在住の外国人の方は何人ですか?
村上:私は市の職員として在住外国人のお世話をしています。気仙沼市は、震災の前、450人くらいですが、今、250人くらいなので大幅に減ったのですが、それは水産加工や漁業関係の会社で就労されていた技能実習生が一斉にお帰りになったので、若干、定住されていた方で長期にわたって帰った方もまだいらっしゃいます。定住者のほぼ全員は日本人との国際結婚です。仕事で来られる方や特別定住者の方も若干います。

最後に全員で(8月4日)
最後に全員で(8月4日)
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