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【インタビュー:多文化をチカラに①】 ヨランダ・タシコさん(演歌歌手)2022.06.21 |
My Eyes Tokyoの協力のもと、日本で活躍する外国にルーツを持つ方々へのインタビューを紹介していきます。
https://www.myeyestokyo.jp/59365
日本には数多くの音楽があふれています。J-POPや洋楽、ワールドミュージック・・・これらの音楽が幅広い年代の人々に親しまれていますが、長い間日本人の心を動かしてきたこの音楽も忘れてはなりません。それが”演歌”です。
戦前から親しまれてきたこの音楽は“日本の心を歌うもの”と捉えられてきましたが、1980年代以降、海外出身の歌手にも歌われています。韓流ブームが生まれるはるか前に韓国出身の歌手が日本で人気を博し、2000年代に入ってからはアメリカ出身の演歌歌手がデビュー。大ヒットを記録しました。
そして今回ご紹介する”フィリピン人初の演歌歌手”ヨランダ・タシコさん。東北地方など寒い地域を舞台とする歌が圧倒的多数を占める演歌を、常夏の国から来た人が歌う時代に、遂に突入したのです。
南国出身ならではのヨランダさんの陽気さと、真夏の太陽のような笑顔に惹きこまれた私たちは、梅雨空の下でインタビューという名の笑いの絶えないおしゃべりを存分に楽しませていただきました。
ヨランダさんの日本での体験と、日本への思いがストレートな言葉で綴られた歌『ARIGATO』
泣きながら追いかけたチャンス
独特の低い歌声で日本中の人たちを惹きつけてきた美空ひばりさんのような歌手を目指して、日々歌っています。”フィリピン人初の演歌歌手”というキャッチコピーを耳にした人たちは、驚きながらも好きになってくれるから、私も誇らしい気持ちになりますね。聴いてくれる人たちを癒すのはもちろん、歌っている私自身も、歌に癒されている。だから私にとって歌は”薬”なのです。
そんな私は日本に住み始めてから、早くも約30年が経ちました。でも初めて日本に来たのはさらに前、1985年のこと。当時まだ10代だった私は、日本国内の温泉街などで行われるショーに出演するためのオーディションがあることをフィリピンで知り「これはチャンスだ!」と思いました。
小さい頃から歌うことが大好きで、学校の代表として音楽イベントに参加したり、テレビで放送していた歌のコンテストで何度も優勝したりしました。プロになることも夢では無いと思った私は「お金を稼いで、4人の妹たちを大学まで行かせたい」と強く思うように。日本で歌えば、それらを一挙に実現できる – 心が躍りました。
しかし一方で、迷いが全く無かったわけではありません。かつて日本がフィリピンを占領したことを祖父母から聞いたり、他にもヤクザや侍など”怖い人たち”についてニュースやドラマで触れたりしていました。でもだからと言って日本人全員が怖いわけでは無いだろうと思ったし、何よりも「大好きな歌でお金を稼ぐことができる」という希望が、私の背中を押してくれました。しかも母がオーディションに同行するほど、私のことを応援してくれたのです。そのおかげかオーディションに合格し、出演契約書にサイン。しかしそれは同時に”何があっても母国には6か月間帰れない”ということを意味していました。
初めて日本に降り立ち、私が他の出演者たちと向かったのは宮城県の鳴子温泉。愛する家族に会えない寂しさや、言葉を全く理解できないことへの不安から、最初の1か月間は毎晩のように泣いていました。歌うことで悲しみを癒し、すでに日本に何回も来たことがあるダンサーさんに日本語を教えてもらううちに、日本での生活に慣れてきました。食べ物が美味しいのが救いでしたね(笑)
マイクを置き専業主婦に
その後もオーディションを受けては日本に行き、半年間のショーを終えてフィリピンに帰るというルーティンが6年間続きました。何度目かの来日の時、美空ひばりさんの最後の曲となった『川の流れのように』がヒットしていたのを覚えています。
いただいたギャラはそれほど高額では無かったものの、家賃や公共料金を興行主が負担してくれたおかげで、いただいたお金のほとんどを家族への仕送りに充てることができました。
そして私が栃木県の川治温泉に滞在していた時、ある日本人のホテルマンと出会います。宿泊者への食事の配膳を担当していた彼とは、ほぼ毎日エレベーターで一緒になり、やがて電話番号を交換するように。
やがて彼と結婚し、それを機に私は一旦歌手生活から離れて主婦業に専念しました。誰に頼まれたわけではなく、私がそうしたかったのです。私にとって家族が一番大事だし、家族と一緒に幸せになりたいと思ったから。
子どもを授かった私は、ささやかな私の願いを夫と一緒に叶えることができるだろうと思っていました。しかし段々すれ違いが生まれ、少しずつ幸せが逃げていくのを感じました。結局、約5年間で結婚生活は終わりました。
でもフィリピンには帰りませんでした。ちょうど子どもが小学校に行き始める頃だったこともあり、「歌手になるチャンスをくれ、歌手になった私を支えてくれた人たちがいる日本で子どもを育てたい」と思うようになったのです。
演歌歌手 幸せをつかむ
離婚してから歌への思いが再びあふれ出てきた私は、カラオケ大会に積極的に参加。ある大会で審査員をしていた演歌歌手の鬼怒川太朗さんという方から「あなたの声は、演歌に向いていると思う」と言われました。それまでポップスを中心に歌っていた私は、その一言で未知の世界に足を踏み入れることに。”フィリピン人初の演歌歌手”誕生の瞬間です。
鬼怒川先生は私に、演歌歌手として必要なことを全て教えてくれました。中でも心に残っているのは「演歌は”心”だよ」という言葉です。それまでの私は、ショーやカラオケ大会などで日本語の歌を歌ってきたものの、当時はあまり言葉の意味を考えずに、ただ歌っていただけ。でも言葉の意味をとらえ、それに合う感情を込めて歌うことが大事なのだと、鬼怒川先生に教わりました。
一方で私はフィリピン出身だから、私がショーで気分が高まると、相手が男性でも女性でもハグします。すると、特に男性の方から驚かれたり、時々誤解されたりすることがありますね(笑)もともと私は、自分が大事に思う人はフィリピン人であれ日本人であれ、必ずハグします。そういうヨランダなのです(笑)
私のファンになってくれたおじいちゃんやおばあちゃんとの触れ合いは、すごく楽しい!まるで私のお父さんやお母さんとお話しているように感じます。私はよく田舎や老人ホームで歌いますが、おじいちゃんやおばあちゃんが目に涙を浮かべて私の歌を聴いてくれる。喜んで抱きついてくれる。握手したら私の手を離さない。お漬物や果物、野菜などをくれる – 心からの愛を感じます。
演歌歌手になってから、さらに出会いがありました。私を震災被災地に導いた国際的平和団体であるGPFJapanです。その代表と偶然知り合い、彼らのミーティングに参加したりイベントで歌わせていただいたりするうち、東日本大震災で大きな被害を受けた場所の一つである宮城県気仙沼市に彼らと伺う機会をいただきました。私が日本で最初に訪れたのも宮城県の鳴子温泉だから、縁を感じましたね。気仙沼では田植えや稲刈りを体験させていただいたり、獲れたお米で作った美味しいおにぎりをいただいたりして、まるで私の故郷に帰ったような感覚になりました。気仙沼で被災し奥様を亡くされた佐藤誠悦さんという消防士の方ともお話し、心と心で繋がったように思いました。
東日本大震災当時、気仙沼市消防署の指揮隊長だった佐藤誠悦さんが、津波で破壊された水田を復興し、日本各地から来る人たちと地元住民が交流を図る『稲刈りカップ』をボランティアと共に毎年主催。名前の由来は、佐藤さんが地元の少年バレーボールチームのコーチを長年務めていたことから。稲刈りが終わった水田では獲れたてのお米で作ったおにぎりを味わい、地元の子どもたちとバレーボールを楽しむ。毎年5月には『田植えカップ』も実施。
日本の人たちからたくさんの愛をいただいた私は今、歌手としてだけでなく一人の人間としても、本当の幸せを感じています。
ヨランダさんにとって、日本って何ですか?
”落ち着く場所”です。
日本は人々が優しいし、マナーもすごく良い。そのマナーは私の体にも染み込んでいます。だからフィリピンに帰っても、レストランやスーパーでお金を払う時はお辞儀をして「ありがとう」とつい日本語で言ってしまいます。相手には変な顔をされますけどね(笑)
それくらい長く日本に住んでいますが、全く言葉が分からない状態から私の日本での生活は始まりました。言葉が理解できないから、買い物ができない。言葉が理解できないから、友達ができない。言葉を話せないから、自分の気持ちを伝えられない。言葉が読めないから、行きたい場所に行けるか不安になる。しかし私が作った『ARIGATO』という歌の歌詞にあるように、言葉を覚えてから一気に目の前が明るくなったのです。
『ARIGATO』を熱唱するヨランダさん(2022年6月12日@フィリピンエキスポ2022)
私がプロとしてのキャリアをスタートさせ、歌手として成長した場所。フィリピン人初の演歌歌手を支えてくれた場所。そんな日本にいられるだけで幸せだから、日本に対して言うことはありません。でも1つだけ挙げるなら”家族との関係”です。
フィリピンでは、家族はとても大切で、愛すべき存在です。でも日本では、大人になるにつれて家族がバラバラになる傾向があるように感じます。
家族をもっと大事にする人が増えたら、日本はきっとさらに素晴らしい場所になると思います!
【ヨランダさん関連サイト】
オフィシャルウェブサイト:tamuoe.com/
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