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【インタビュー:多文化をチカラに⑤】 木下ラファエルさん(ジュニアオーケストラ創設者/バイオリン講師)2022.10.18 | 

My Eyes Tokyoの協力のもと、日本で活躍する外国にルーツを持つ方々へのインタビューを紹介していきます。
https://www.myeyestokyo.jp/59891


僕が夢を見るのではなく、子どもたちが夢を見て、それを実現する。そんな場所を作るのが僕の夢です。

日本に居住する外国籍市民の多くは、東アジアや東南アジアなど日本から近い国々から来た人たちで占められています。しかし1990年頃から、ある国からの日本への移住が増えました。約1万7,000キロかなたに広がる南米の大国・ブラジルです。その多くは日本にルーツを持つ日系ブラジル人で、移住後は主に工場労働者として国内各地で働き、やがて定住するようになりました。現在、日本に住むブラジル出身者の全外国人人口に占める割合は約8%、約20万人に達しています。

今回はそのうちの一人、木下ラファエルさんをご紹介します。

ラファエルさんは、日本でも有数のブラジルタウンである群馬県大泉町を拠点とするジュニアオーケストラ「国境なき音楽(Música sem Fronteiras)」の創設者。少年時代に音楽に出会い、その可能性を強く感じたラファエルさんは、その後仕事をしながら演奏活動を続け、20代で日系ブラジル人の子どもたちを集めたオーケストラを結成しました。

優しい笑顔で人々を和ませる、大らかなラファエルさんを支援する人も少なくありません。私たちにラファエルさんをご紹介くださったナンシー(多田直子)さんもその一人。ラファエルさんのことを”息子”と呼ぶナンシーさんは、かつてブラジルやアメリカに住み、培った語学能力や国際感覚を活かしてポルトガル語や英語の指導、および「国境なき音楽」を始めとする国際交流団体を支援する”橋”として活躍しています。

そのような人たちからの愛を一身に受けて”音による異文化交流”を試みるラファエルさん。しかしその軌跡は、決して平坦では無かったのです。

「ガイジンのお前には分からない」
僕は日本に来てからずっと、自分が「日本人でもなくブラジル人でもない」という思いを抱えています。でも最近はそれをネガティブに捉えるのではなく「僕には日本人の考え方もあるし、ブラジル人の考え方もある。どちらかだけでなく、どちらも持っているのは良いことだ」とポジティブに考えるようになりましたね。

そんな僕が日本に来たのは6歳の頃。今から約30年前、ブラジルでは得られなかった高収入を目指した父が”デカセギ(出稼ぎ)”で母と一緒に群馬県大泉町に移住し、地元の工場で1年働いた後、僕と弟を呼び寄せました。

ラファエルさんのお母様と叔父様が経営している移動販売ケーキショップ”Betel Cake”

こうして大泉に来た僕は、地元の小学校に入学。今はブラジル人人口が増え、ブラジルにルーツを持つ子どもたちが全校で約150人にまで増えましたが、当時は僕を含めてわずか5人。だから珍しい存在だったのか、周りの生徒からだけでなく先生からも、僕は心無い言葉を投げかけられました。当時の僕は校内を走り回る活発な子でしたが、それを見た先生は僕に「ガイジンのお前には、日本のルールなんて分からないよな」と。しかもそれを、他の生徒たちがいる前で僕に言った。「先生、この野郎!」と思いましたね(笑)

差別の無い音楽の世界
僕が音楽を始めたのは、小学校5年生の頃です。僕が通っていた”めぐみバプテスト教会”の当時の牧師さんと、教会でピアノを演奏していた人がオーケストラを結成することになり、その人たちから「君はバイオリンをやってくれ」と言われました。それまでずっと空手をやっていた僕にとって、バイオリンは”女の子がやるもの”とばかり思っていたから、全く興味が湧きませんでした。だからしぶしぶ、30人くらいの子どもたちと一緒にバイオリンを習い始めましたが、最後まで止めなかったのは僕だけでした。それ以前の音楽経験は、小学校の音楽の授業だけ。楽譜も全く読めませんでしたが、思ったよりも弾くのが簡単で、初めてバイオリンに触れた日に「きらきら星」が弾けるようになりました。それが僕にとってすごく楽しかった。しかし、僕が音楽を続けた理由はそれだけではありません。

「オーケストラには人種差別が無い」と感じたのです。僕が参加したオーケストラに、ブラジル人は僕だけ。でも皆が”音楽が好き”という思いでつながっていたから、僕の国籍など誰も気にしなかった。そこでようやく、自分が”受け入れられている”ことを感じました。そしてこの経験から「音楽には国境を越える力がある」と確信したのです。

ラファエルさんの音楽活動の出発点となった”めぐみバプテスト教会”

音楽の楽しさを知り、夢中になった小・中学生時代を経て、進学の時期を迎えました。しかし僕は高校には行かず、地元の工場に就職。特に理由はなく、勉強があまり好きではない友人たちからの影響です(笑)時給900円で、毎日朝8時から夕方5時まで仕事をしながら、その合間に音楽活動を続けました。いろんなオーケストラに参加したり、オーケストラに所属していない時は音楽仲間を集めてブラジル関連イベントなどで演奏したりしていました。

当時の僕は、音楽を仕事にすることなど夢にも思っていませんでした。僕の父のように、日本に移住した”デカセギ”のブラジル人たちの多くは、たとえ正社員になれるチャンスが少なくても、会社で仕事をする以外にお金を稼ぐ方法を知らないために、そこから離れられないでいる。それは僕ら子どもの世代にも引き継がれていました。

しかし、そんな僕を変えた出来事が起こります。

”不毛地帯”に見つけた可能性
ある日、教会の牧師さんが1本の映画を紹介してくれました。ロビン・ウィリアムズ主演の『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(1998年)です。病院で上司からの強い反対に遭いながらも、ピエロに扮して患者の心のケアに取り組む医師パッチ・アダムスの姿を見て「彼のように他人の人生に良い影響を与えられる人になりたい!」と、僕の心に火が灯いたのです。そして思い出しました。初めてオーケストラに参加した時に感じた、国境を越える音楽の力を。僕がそれまで参加したオーケストラはいずれも日本人ばかりでしたが、僕は秘かに「この中にブラジル人が交じれば面白いだろうな」と思っていたのです。

一方、音楽に触れる機会が日本在住ブラジル人たちにあまり行き届いていないことも感じていました。例えば僕が以前所属していたジュニアオーケストラの先生と一緒にブラジル人学校でバイオリンの体験教室を開いたとき、普通なら1日で「きらきら星」を演奏できるようになるところが、それができなかった。不思議に思いましたが、後になってブラジル人学校には音楽の授業が無いことを知りました。だからドレミファソラシドすら分からず、その段階から学ばなければならないわけです。また大人たちも、デカセギで働き詰めだったから、たとえ自分で会社を作るまで上り詰めたとしても、クラシックコンサートにどのような服装で行けば良いか分かりません。

そんなブラジルコミュニティの現状を嘆きながらも、僕は大きな可能性を感じました。

神様がくれたバイオリン
子どもの頃に音楽に触れて人生が変わった僕は「大人たちではなく、子どもたちにこそ新しい世界を見せてあげたい」と思っていました。そこで僕は、教会に通う子どもたちとジュニアオーケストラを結成しようと考えます。
しかし当時はアメリカで起きたリーマンショックの兆しが、大泉にも現れ始めた頃。僕は子どもたちにバイオリンを教えていましたが、生徒たちの親御さんから「仕事を失ったので、子どもにも教室を辞めてもらわざるを得ない。だから子どもが使っていたバイオリンをお返しします」と言われました。たとえが悪いかもしれませんが、戦地から兵隊さんが帰ってこず、彼らのヘルメットだけが送られてきたような悲しみややるせなさを覚えました。

僕自身は、無償でも指導を続けようと思っていました。そこで僕は、当時一緒にオーケストラを組んでいた、僕が子ども時代に所属していた日本人中心のオーケストラの先生に無償での指導をお願いしましたが、返事は「ブラジル人だけを無料で教えることはできない」。しかもバイオリンは、そのオーケストラのものを使わせてもらっていたのです。

これ以上、そのオーケストラのお世話になるわけにはいかない。でもバイオリンは手元にない・・・そこで教会の牧師に相談したら「お祈りしよう」と。お祈りすれば、きっと何かが起きるでしょう – そう言われて、僕はその言葉に従いました。

その後、工場などで解雇の憂き目に遭う日系人たちを取材するメディアが数多く大泉に集まるようになり、教会にも報道陣が来ました。彼らに牧師さんは伝えました。「子どもたちにバイオリンを教えている人がいるが、親御さんが職を失ったためにレッスン料を支払えなくなり、困っているという信者がいますよ」と。

こうして僕は取材を受け、その記事が新聞に大きく載りました。

ラファエルさん独自のオーケストラの立ち上げに貢献した新聞記事(2008年12月4日付 朝日新聞夕刊)

その後、全国各地から約40台のバイオリンが教会に贈られてきました。中には物置きなどで眠っていた、状態があまり良くないものもありましたが、それらを無償で修理してくれる職人さんも現れたのです。新聞の力もすごいけど、お祈りが効いたんでしょうね(笑)

そろった楽器は最初はバイオリンやビオラ、チェロだけでしたが、全ての楽器から成るフルオーケストラを目指す気持ちを込めて「インターナショナルめぐみオーケストラ」という名の、初めて自分オリジナルの楽団を立ち上げました。名前にある”めぐみ”には、教会に通う子どもたちで結成したことだけでなく、たくさんの人たちのご協力のおかげで結成することができた恵まれた団体という意味も込めました。

数多くのバイオリンがラファエルさんのご自宅に保管されている

オーケストラを続けるために”起業”
子どもたちを乗せた僕の船は、ゆっくりと動き始めました。しかしその後も、ずっと不安定な航海を続けることに。真に自分独自のオーケストラを作るために教会から離れ、2016年に「国境なき音楽」を立ち上げましたが、その後も”お金”が一番の問題として残りました。一方で僕は、生きていくために工場勤務や廃品回収などの仕事をし、しかも家族も食べさせなくてはなりません。実際に、僕は健康が損なわれる一歩手前まで行きました。

だから僕は運営に協力してくれるスポンサーを探し始めました。しかし先ほども言ったように、日本に来たブラジル人は働き詰めです。お給料を得ても車や携帯電話を買わず、遊びにも行かずに貯金したり、ブラジルの家族に送金したりしていました。誰かの誕生日にしか外食に行かない、そんな慎ましい生活を送りながら真面目に働いています。だから音楽に触れる機会に恵まれていません。自分たちにあまり縁がないものにはお金を出しませんよね。音楽や自分たちの活動について説明しては断られる日々に疲れ切ったし、仮にスポンサーを見つけたとしても、それがプレッシャーになって活動を楽しめなくなるのではないか、という心配も生まれました。

そこで僕は、あることを考えました。自分で会社を立ち上げ、そこを「国境なき音楽」のスポンサーにすることです。こうして僕は、廃品回収業での経験を活かして”木下リサイクル”を立ち上げました。

ラファエルさんが回収した廃品の保管倉庫。その中にはバーベルも!

今では「国境なき音楽」はブラジルコミュニティ唯一の音楽団体として、大泉以外の街に住むブラジル人たちにも知られるようになりました。今では東京や、大泉と同じくたくさんのブラジル人が住む静岡県浜松市からも「国境なき音楽」を作ってほしいというご要望をいただいています。

すべての人たちに”国境なき音楽”を
お金の面での不安が少しだけ薄れても、まだ心配の種は消えません。子どもたちの音楽へのモチベーションを維持させることも、課題の一つです。自分たちが何のために音楽をやっているのか分からないという子どもが多いのです。そんな彼らをやる気にさせるものは、一体何か・・・

考え抜いて出した答えが”達成感”でした。たくさんの人たちの前で演奏して、皆さんから「ブラボー!」と言われる。その時に得られる喜びを体で感じて、自分たちがやっていることに自信を持ってもらうことが、僕の目標の一つです。その自信が、音楽だけでなく勉強やスポーツにも広がって、いろいろなことを楽しめる人になってくれたら良いなと思いますね。

僕はお金や生活などいろんなものを犠牲にしても、音楽活動を止めず、子どもたちへの指導を続けてきました。その末に、延べ人数にして約500人の子どもたちに、僕は音楽を教えてきました。それができたのは、苦労よりも「この子たちは僕を通して音楽を知ったんだ!」という喜びの方が大きいから。彼らが大きくなって、誰かに「僕(私)に音楽を教えてくれたのは”国境なき音楽”です」と伝えてくれたら「あ、良かったな」と思うでしょうね(笑)

しかもこれまで教えてきた子どもたちには、それぞれ両親や祖父母、親戚や友達がいます。彼らも実際に私たちのコンサートに足を運んでくださいました。そして僕にこう言いました。「ラファエルさん、こういう演奏会を開いてくれてありがとう!こんなの、私は見たことがなかったよ」。そのお言葉をいただいた時は「やった!」と思いましたね。

今は日系ブラジル人や日系ペルー人が中心のジュニアオーケストラですが、ゆくゆくは日本人の子どもたちにも加わってほしい。ただそのためには、彼らが参加しやすい状況を用意する必要があります。それはマインドセットの問題でもありますが、ブラジル人の子どもたちはあまり積極的に自分から動こうとしません。だからあるコンサートをしたとき、企画や当日の司会など全て僕一人が担当したことがあります。そのような状況だと、もしかしたら今実際に進めている、来年(2023年)7月に開催予定のコンサートについて、僕が一言「もうやらない!」と言ったら、誰も反対せずにそのまま中止になってしまうかもしれません。

一方で日本人の子どもは、それぞれが自主的に役割分担をしながらチームワークで動くことを小学校などで学んでいます。そのような日本人の良いところを吸収すると共に、日本人の先生を迎え入れる。こうして環境を整えながら、僕だけでなくチームで企画・運営できる組織を作れば、日本人の子どもたちも参加しやすくなる。こうなれば、文字通り「国境なき音楽」が完成すると思います。

僕、木下ラファエルの夢ではなく、子どもたち一人ひとりが夢を見て、それを実現するような団体をつくりたい。「先生、こういうところで演奏しましょう!」「先生、こんなコンサートをしましょう!」と皆が言えるような団体を作りたいですね。

「国境なき音楽」の子どもたちと

ラファエルさんにとって日本って何ですか?
チャンスがある場所です。
僕もこの日本でチャンスをもらい、ここまで来ました。日本に住んでいるからこそ、人脈を築くことができました。それは僕だけでなく、他の多くの日本在住ブラジル人も同じだと思います。

そして積極的に海外展開しようとしている会社にとっては、僕たちのようなブラジル人を雇用することが、彼らにとってもチャンスになるでしょう。

僕自身はこの日本を拠点にして、音楽で世界に行けたらと思います。

【ラファエルさん関連リンク】
国境なき音楽プロジェクト(Projeto Música sem Fronteiras)
Facebook: facebook.com/rafakinoshita/
Instagram: instagram.com/projetomusicasemfronteiras/

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