HOME >  【インタビュー:多文化をチカラに⑥】 スチュワード・グナルディさん(留学生)

【インタビュー:多文化をチカラに⑥】 スチュワード・グナルディさん(留学生)2022.10.19 | 

My Eyes Tokyoの協力のもと、日本で活躍する外国にルーツを持つ方々へのインタビューを紹介していきます。
https://www.myeyestokyo.jp/59953


もっと自分に素直になりたい。自分を変えたいなら、環境を変えるしかない – だから僕は海外を目指しました。

これまで私たちMy Eyes Tokyoは、訪日観光客を含め多くのインドネシア出身者の声に耳を傾けてきました。恐らくその人たちの中では現時点で最も若い(?)人を紹介します。都内の大学で微生物の研究に取り組むスチュワード・グナルディさんです。

私たちは主に日本で事業を行ったり、独自の活動に従事したりする人たちに会ってきましたが、その分、勉学や研究を目的として日本に来た人たちに出会う機会を逸してきました。そこで今回は「日本が世界から選ばれなくなっている」とメディアなどで語られる昨今、未来あるインドネシアの若者が日本の大学を選んだ理由や、日本で学んだことなどをお聞きしました。

日本に来た僕は変わり者?
インドネシアの学生たちの間で人気が高い留学先は、台湾ですね。アジアの中でも英語が通じる地域と思われているからです。他にも同じく英語が通じるドイツやシンガポール、マレーシアが人気。残念ながら日本は、インドネシアでも”英語があまり通じない国”と考えられています。だから僕のように日本に留学するインドネシア人は、あまりいないと思います(涙)

僕は現在、東京農業大学で微生物について学んでいます。子どもの頃から動物が好きで、ナショナルジオグラフィックのような動物のドキュメンタリー番組をよく見ていました。番組には微生物は出てきませんでしたが、中学生の時に授業でプログラミングを学んだ僕は、生命科学と情報学が融合した”バイオインフォマティクス”という学問があると聞いて興味を持ち、その分野が学べる東京農大を目指しました。

こんなふうに言うと、東京農大に留学するためにインドネシアから日本に来たと思われるかもしれません。でも実は違います。東京農大を知ったのは、日本に来た後のことなのです。

”夢の国”と留学先は違う
僕は子どもの頃から日本のポップカルチャーに染まっていました。『天元突破グレンラガン』などのアニメや『焼きたて!!ジャぱん』などのマンガ、TCG(トレーディングカードゲーム)やベイブレードなどのおもちゃ、ポケモンやデジモンなどのゲーム・・・

やがて高校生になり、海外への留学に興味を持ち始めます。でも日本に行くことは全く考えませんでした。その頃、留学先として情報を集めていたのはニュージーランドとオランダ。ただ自然豊かなイメージに憧れただけです(笑)好きなものがあふれる夢のような場所と、勉強する場所は全く別だと思っていた僕に、ある人が「だったら日本に来ない?」と声をかけました。日本人と結婚して千葉県に住んでいた僕の伯母です。

僕は留学先選びに迷っていたし、やはりそのカルチャーに慣れ親しんでいたから「これはチャンスだ!」と思いました。高校卒業後、約3ヶ月間ジャカルタの日本語学校で必死に基礎を学び、2019年に日本に来ました。

千葉の伯母の家に居候しながらさらに1年間日本語学校で勉強し、その間に進学先として見つけたのが東京農大です。入学した時はすでにコロナ禍だったため、世田谷にあるキャンパスにはそれほど頻繁には行く必要はありませんでしたが、時々通学した時は恐ろしく遠かった(笑)なので昨年(2021年)都内に引っ越しました。

ここは僕の”コンフォートゾーン”じゃない
治安の良い日本に慣れると、インドネシアでの治安の悪さを感じます。サッカー場で観客たちが暴動を起こし、たくさんの人が亡くなった事件が日本でも報道されましたが、それはあまり珍しいことではありません。それに母国では、何かを無くしてしまったら絶対に返ってきません。

そんなインドネシアに今年(2022年)約3年ぶりに帰りましたが「もう日本に帰りたくない」と思いました(笑)やはりそこが僕が生まれ育った場所だから、居心地が良い。でも大学の講義のことを考え、2週間の滞在後、日本に戻ってきました。

僕はもともと人見知りで、あまり口数が多くありません。でも”外国”に来たら、とにかく口を開けて自分の意思を伝えないと生きていけないですよね。それに家族と一緒にいたら、身の回りのことは何でも家族がやってくれますが、日本に来たらいろいろなことを全部自分でやらなくてはいけない。しかも日本では、言語の壁が英語圏の国々などに比べて高い。だからこそ、自分が成長していることを感じますね。

日本から地球に恩返し
今は大学3年生ですが、まずは大学卒業を目指しています。以前は技術面からバイオインフォマティクスに興味を持ちましたが、大学2年の頃、海洋ごみや空気・土壌汚染など環境問題への微生物の活用に関心を抱くようになりました。当時受けたある講義で地球環境の現状を知り、衝撃を受けた僕は、地球に住んでいる者として、地球に何か恩返しをしたいと思ったのです。

今後メタンガスについての研究に取り組む予定ですが、大学院に進んで本格的に研究したいと考えています。そして将来は、日本で研究者になりたいですね。自分の研究で世界の環境問題の解決に貢献できれば良いなと思います。

スチュワードさんにとって、東京って何ですか?
”憧れていた場所”であり”今の自分を作ってくれた場所”。そして”僕に夢を与えてくれた場所”です。

スチュワードさんにとって、日本って何ですか?
僕を変えてくれた場所です。
僕はインドネシアにいた頃、周りに「スチュワードは大人しい人」と思われていました。そして僕自身がそのイメージに縛られ「僕は大人しくしていなくちゃいけないんだ」と思いこんでいました。そんな自分を、心のどこかで「変えたい」と思っていた。でもその勇気がありませんでした。

僕はもっと自分に素直になりたい。自分を変えたいなら、環境を変えるしかない – だから僕は海外を目指したのです。

はっきりとした意志を持って日本を目指したわけではありませんが、それでも日本に来ることで、自分を閉じ込めていた”殻”を突き破ることができました。日本には、僕の過去を知っている人はいない。僕はもう日本に来てしまった – だったら周りを気にせずやりたいことをやってやろう。新しい場所で新しい自分になろう!そう強く思いました。

そんな僕は、伯母や大学の先生、友人たちからの応援をいただいて、助けられて日本で生きてきました。そしていろんな国々から来た人たちにも出会い「日本で生活している外国人は僕だけじゃない」「僕は独りじゃない」と思えるようになったのです。

生まれ育った国や環境が違っても、みんな”仲間” – そんな人たちに出会わせてくれた日本に、僕は心から感謝しています。

このページのトップへ