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【インタビュー:多文化をチカラに⑫】近藤フローサン・ボランドさん(モリンガ伝道師)2023.01.30 |
My Eyes Tokyoの協力のもと、日本で活躍する外国にルーツを持つ方々へのインタビューを紹介していきます。
https://www.myeyestokyo.jp/60342
モリンガでこの国を元気にする – それが私からの日本への恩返しです。
昨年(2022年)11月23日に都内で開催された「多文化おもてなしフェスティバル」(※主催者のインタビューはこちら)。日本で暮らす様々な背景を持つ人たちが集結し、ショーや出店を通じて自らの文化や伝統を共有する場で、私たちはある人たちに出会いました。
「ATE Moringa」というそのグループは、東京都心から約70キロ離れた千葉県横芝光町で”モリンガ”という植物を栽培。北インドを原産地として世界中で食べられている栄養価の高い植物で、その成長力や二酸化炭素吸収力の高さから地球温暖化対策に有効とされ、その種子には浄水作用があると言われることから”奇跡の木”と呼ばれています。日本では主に沖縄や九州で栽培されていますが、その歴史が浅いため、その効果効能について知る人は限られています。
私たちは千葉県から日本中に”奇跡”を広めようとしている「ATE Moringa」代表の近藤フローサン・ボランドさんに、その原動力についてお聞きしました。
未開拓の巨大市場ニッポン
フィリピンでは誰もが日常的に口にしているモリンガですが、日本ではほとんど知られていません。でも私は、そこにチャンスがあると考えています。
日本国内でも育てられることは、私が試行錯誤を経て証明してきました。日本の農業にとっても栽培作物の選択肢が増えるし、海外からモリンガを輸入する必要もなくなります。日本の高い技術力や厳しい品質管理を経て生まれる商品は、日本国内での流通に留まらず、海外にも輸出できるでしょう。しかも成長速度が速く、二酸化炭素吸収率が杉の50倍と言われているモリンガを日本中で育てることで、地球温暖化防止にも貢献します。”奇跡の木”と呼ばれるモリンガですが、私にとってのそれは、地球が抱える問題を解決する可能性を秘めた”グローバルの木”です。
そんなモリンガを日本に広めるため、昨年6月に「ATE Moringa Project」を立ち上げました。モリンガが地球に様々な恩恵を与えていることから”ATAERU(与える)”という言葉が浮かびました。それがタガログ語で”お姉さん”を意味する”ATE”と重なり、またそれぞれの頭文字が”Aid from nature(自然からの助け)””Tree of life and peace(命と平和の木)””Environmental Friendly(環境に優しい)”というモリンガの特徴を表すことから、これ以上ピッタリの名前は無いと思い「ATE Moringa Project」と名付けました。
その存在が当たり前すぎて気づかなかったことが、私の人生を賭ける事業になった。それに至るまでに、実に40年近くの歳月を要したのです。
日本は”悪い国”?
私が初めて日本に来たのは1986年。もともと私は大学で助産婦になるための勉強をしていました。助産婦のライセンスを国からいただいた大学在学中、中学時代の同級生が私に言いました。「日本に来ない?楽しいよ!」。
その人はすでに日本に来ており、ショーでエンターテイナーとして活躍していました。私はすでに助産師として活動していましたが、大学を卒業する年の夏、母の勧めで看護師の勉強を始めました。私が看護師になることが母の夢だったからです。しかし小学校の頃からフィリピンの伝統舞踊を楽しみ、その経験だけで海外に行けると知った私は、日本への興味が押さえきれなかった。過去の戦争により、日本に対して悪い印象を持つご高齢の人たちもいましたが、私はそれが本当か、この目で確かめたいと思った。だから私は、その友人と同じくプロのエンターテイナーとして日本で活動できるように、母に内緒でフィリピンにある芸能プロダクションに入り、歌やダンスの練習に励みました。
祖母はそんな私を温かく見守ってくれましたが、私が看護師になることを期待していた母が許しませんでした。でも日本とすでに契約が結ばれていたため、日本行きを拒否したら違約金を支払わなければなりません。母はしぶしぶ状況を受け入れ、私は1986年4月、5人のフィリピン人たちと日本にやって来ました。
私はあるお店に所属し、そのママさんが知り合いの社長さん向けにパーティーを開く時、その会場に私がエンターテイナーとして行きました。当時の私はほとんど日本語が分からず、仕事の合間に勉強しました。半年ごとに契約が満了し、フィリピンに戻っては再び契約して日本に行くという生活が数年続いた後、私のショーを見に来ていた日本人男性と1991年に結婚。仕事を辞めて専業主婦となりました。夫の実家が火事となり、義理の兄を亡くすという不幸に見舞われながらも、私は2人の子どもを育てました。
エンターテイナー 異国で経営者に
私が夫の家族と住んでいた千葉県野田市には、フィリピン人がたくさん住んでいます。そこで仲良くなったフィリピン人の友達が、彼女が経営していた食料雑貨店を私に譲りたいと言ってきました。私自身は特にお店の経営に興味があったわけではありませんが、友達を助けたいと思った。私の夫は、会社勤務ではなく自営業なら子育てと両立できるのではないかと思い、そんな私の背中を押してくれました。
そのお店は、やがてフィリピンコミュニティの”駆け込み寺”のような存在に。ビザなどの問題で多くのフィリピン人たちが私に相談しに来ました。そのような状況を耳にしていたある人から、ある日私に電話をかけてきました。受話器の向こうにいたのは、野田市内で人材派遣業を営む日本人。「倉庫内作業で、明日までに30人必要です。集められますか?」。私はそのご要望に応えるために、友人や知り合いに電話をし、1日で30人集めました。同じような連絡がその後も私のもとに届き、私はひたすら人を集めました。
それらが実績となり、私はその人のお父様から信頼を受けるまでに。野田市周辺でいくつもの会社を経営されている事業家で、当時千葉県県議会議員だった田中由夫さんです。
ある日田中さんが、私のネットワーク拡大に向けて、大田区のフィリピンコミュニティの集会に連れて行ってくれました。そこである人が、フィリピンのサプリメントについて教えてくれました。日本に住むフィリピン人の間でも人気でしたが「個人で輸入すると高額になるため買いにくい」とのこと。その声を聞いた田中さんは私に「その会社の日本支社を作らないか?」とご提案されました。ちょうど母のために健康食品やサプリメントを探していた私はその話に乗り、田中さんと一緒に北千住に日本支社を立ち上げました。
パート社員からの再出発
それまで小さなお店の経験しか無かった私。日本支社も社員は日本人1人とフィリピン人2人のわずか3人程度でしたが、きちんとした会社経営を行う必要に迫られました。いろいろな人たちに会い、あらゆる経験をしながら少しずつ経営を学びました。
日本支社を作った当時は、日本には他にフィリピンのサプリメントを扱う会社が無かったため、売上は好調。しかし日本の法律などが壁となり、フィリピンの本社からの要請に応えることができなかったり、オンラインなどで安く簡単に入手できるようになって人々が他社製品を買うようになったりと、逆風が吹き始めました。これらを理由に、私たちは日本支社を閉じることにしました。
先のことを考えていた私に、友人が埼玉県にあるチョコレート工場での仕事を紹介してくれました。3ヶ月だけの仕事として取り組みましたが、期間満了と共に会社の人事部が私に契約延長を提案。私は結局、その工場で3年間勤務しました。その間、私はただ与えられた仕事をしていただけでなく、働きながらチョコレートが作られる工程を学びました。またその会社が半年に1回行っていた、従業員全員を対象とした業績報告会では、それを退屈に思う人が多い中、私は夢中になって聞いていました。それはきっと、小さいながらもお店や会社の経営を経験したからでしょうね。やがて週1回の一流ホテルでのベッドメイキングの仕事も始め、そこではたくさんのVIPにお会いできました。「ビジネスでの失敗があったから、今私はたくさんのことを学べている。失敗は、自分がより成長するための学習のチャンスなのだ」と確信しました。
コロナが導いた”奇跡の木”
2020年2月、日本をコロナウィルスが襲いました。チョコレート工場への注文がゼロの日が続いたり、ホテルへの宿泊客が減ったりと、私の仕事に大きな影響が出ましたが、何よりも私は健康のことを心配しました。そこで思い出したのがモリンガです。フィリピンでは、モリンガはどこでも手に入る健康食品で、体が弱い人にたくさん食べるよう勧めています。
ちょうどその頃、私がサプリメント会社を経営していた時に出会った人から電話がありました。「千葉県内で農業を始めるんです。遊びに来ませんか」。興味を持った私は、千葉県八街市にあるその人、石井さんという人の農園を訪ねました。彼は高麗人参を育てることを考えていましたが、そこで私はモリンガの栽培を提案しました。私は熊本県からモリンガの苗を仕入れて、自分の家の植木鉢で育ててみましたが、失敗。そこで私は2020年4月、モリンガの種を約1000粒購入して石井さんのグリーンハウスへ。懸命にお世話したところ、栽培に成功しました。
私はこれからも彼のグリーンハウスでモリンガの栽培を続けさせてもらうものと思っていましたが、偶然インターネットで千葉農業大学校での生徒募集の告知を発見。学校に問い合わせると、応募の締め切りは翌日とのこと。偶然千葉県内で車を走らせていた私は、急いで学校に行き、願書を入手しました。ただし学校ではモリンガの栽培を指導できる人がいない。それでも私は土の作り方など農業を基礎から勉強したいと思い、願書に必要事項を記入して提出。試験と面接を経て合格しました。一方で、注文量が減少しながらも勤務をさせていただいていたチョコレート工場は「学校を卒業したら勤務に戻ってきてくださいね」と温かい言葉で送り出してくれました。こうして私は2020年9月、千葉農業大学校に入学しました。
”使命”に出会う
「何を栽培したいですか?」と先生から聞かれ、私は即座に「モリンガです」と答えました。当時は先生さえもモリンガについてご存知ありませんでしたが、翌週にお会いした時、先生は「モリンガについて調べました。面白いですね」と言いました。ミニトマトの栽培がうまくいかず悩んでいた私の同級生に「モリンガに変えてみたら?」と勧めるようになったほどです。私は嬉しくなり、モリンガ栽培の研究に力を入れるように。石井さんのご自宅に下宿させていただきながら学校に通いました。
石井さんは、お兄様を亡くされていました。石井さんはもちろん、100歳近くのお父様が気力を無くされていました。そこで私はお父様と毎日お話しながら、彼にモリンガを食べてもらいました。やがてお父様のお顔に生気がみなぎってきました。曲がっていた腰が真っ直ぐになり、それまでほとんど外出しなかったにも関わらず、電車で遠出するまでになったのです。
私は彼から言われました。「あなたはモリンガを、この日本に広める使命を負っているんだよ」と。その言葉に、私が進むべき道を確信した私は、半年の課程を終えた後、さらに研究を深めるために1年間の就農実践研修課程へ。先生に相談し、ご意見を仰ぎながら学校の敷地内でモリンガを栽培したり、千葉県と同じ”黒ボク土”という土壌を持つ鹿児島県のモリンガ農園を訪ねて土作りについて学んだり、アメリカのカリフォルニア州にあるモリンガ栽培者育成機関「Moringa For Life」のモリンガ・アンバサダー・プログラムにオンラインで参加したり、実際に現地で研修を受けたりしました。
そして日本の人たちにモリンガがいかに日本や日本の人たちにとって大切な存在になり得るかを伝えるために、私の活動を支援してくれていた千葉県東金市内のカフェで第1回「モリンガ祭り」を行いました。
たくさんの人たちが集まった第1回「モリンガ祭り」。長らく事業を支援してきた田中由夫さん、同じフィリピン出身の演歌歌手であるヨランダ・タシコさんも駆けつけた。2022年5月@千葉県東金市
千葉県農業大学校での1年半にわたる研究を終えた翌月、学校の同級生の紹介で、農家の廃業を考えていた人に出会いました。その人が所有していた千葉県横芝光町の土地を、田中由夫さんのお力をいただき購入。私は自分のブランド「ATE Moringa」を立ち上げ、本格的にモリンガ栽培事業を始めました。
多くの人たちが収穫やモリンガ料理を楽しんだ第2回「モリンガ祭り」。第1回に続き田中由夫さんやヨランダ・タシコさんも参加、ヨランダさんは歌をプレゼントした。2022年10月@千葉県横芝光町
モリンガは日本への”恩返し”
私が今、一番楽しみにしていることがあります。それは、モリンガを摂取することで日本の子どもたちの性格が明るくなること。フィリピンの子どもたちを見てください。皆、明るい顔をしているでしょう?実際、フィリピンの自殺率は世界的に見てとても低いという統計が出ています。一方で日本ではフィリピンと反対のことが起きています。2人の子どもを日本で育ててきた母親としてとても悲しく思うけど、モリンガを日本に広めることで、このような状況を変えることができるかもしれません。
それは外国人である私を支援し、私の子どもたちを育ててくれた日本への、私からの恩返し。私の使命である”モリンガを日本に広める”その小さな一歩を、私は今踏み出したところです。
近藤さんにとって、日本って何ですか?
”伝統とイノベーションの国”です。このような日本だからこそ、私ができることはたくさんあると思います。
モリンガが日本の伝統になるくらいに、日本の生活に根付かせる。日本が誇る技術革新力で、モリンガ製品を生み出す。日本中でモリンガを育てることで、地球温暖化防止に貢献する。浄水作用のあるモリンガの種で、日本中の水をきれいにする・・・
日本が大切にする”伝統”と”イノベーション”で、私は日本への恩返しをしたいと思います。
近藤さん関連リンク
ATE Moringa Facebookページ:facebook.com/atemoringa
Healthy Life Japan(YouTube):youtube.com/@healthylifejapan7521