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【インタビュー:多文化をチカラに⑬】ソウミさん(非営利団体代表)2023.02.07 |
My Eyes Tokyoの協力のもと、日本で活躍する外国にルーツを持つ方々へのインタビューを紹介していきます。
https://www.myeyestokyo.jp/60451
私にとって社会貢献は”命の水”。この活動があるから私は生きてこれたのです。
年が変わり2023年になっても、世界は未だ平和から遠いところにあります。ロシアとウクライナとの関係は、開戦から間もなく1年になろうとしている今でも改善の兆しが見えない状況です。
多くのメディアがこの戦争の現状や行方を追う一方、今も衝突が至るところに影を落としています。その一つがミャンマーです。今から約2年前、2021年2月にミャンマー国軍がクーデターにより政権を奪取して以来、市民の政府への抵抗と、それらへの国軍による鎮圧が続いています。
この状況を憂い、日本に住む1人のミャンマー人女性が立ち上がりました。ミャンマーの中でも特に貧しい人々が暮らす地域に向けた生活・教育・医療支援を行うNGO「Heartship Myanmar Japan」(以下HMJ)を、ご友人たちと設立したソウミ(本名:ラ スワン リアン)さんです。
彼女を私たちにご紹介してくださったのは、過去インタビューさせていただいたミャンマー人女性の金子ティンギウィンさん。昨年(2022年)11月に都内で開催された「多文化おもてなしフェスティバル」(※主催者のインタビューはこちら)にて自らの活動やミャンマーの現状を伝える写真や資料を展示したHMJ、およびその創設者であるソウミさんをご紹介いただきました。
「彼女の故郷は、空爆に晒されたのです」。ティンギウィンさんのその言葉に、私たちは心を動かされました。ロシアとウクライナとの戦争の陰で起きていることを、決して風化させてはならない – 私たちはソウミさんにインタビューを申し込みました。
動画「ミャンマー、サタウム村付近に空爆で教育支援中断」
HMJ YouTubeチャンネル
多国籍NGOで故郷を救う
私が代表を務めるHMJは、2021年10月に発足しました。私の両親や祖父母が生まれ育ったミャンマー西部チン州サタウム村、および旧首都ヤンゴンの貧困地域で食糧、教育、医療、インフラ構築などへの支援を行っています。
2021年2月、ミャンマーで国軍によるクーデターが発生。その後の状況を私の家族や友人などからSNSを通じて知りましたが、それに対して自分が何もしないでいるのが本当に辛かった。母国の惨状や私の気持ちを、信頼する友人のティナに泣きながら伝え、協力を仰ぎました。さらにすでに日本で知り合っていたカメラマン兼英語講師のアメリカ人ジェイコブ・シアーにも呼びかけ、3人でHMJを立ち上げました。
私は2003年以来、ミャンマー人の夫や2人の子どもたちと日本で暮らしています。しかしHMJを立ち上げるはるか前から、私はずっと「母国に貢献したい」という思いを抱いていました。その原点は、サタウム村で見た人々の姿でした。
父の魂を継ぐ
2007年、私の父と母が相次いで亡くなりました。私は10人きょうだいの6番目の子どもでしたが、チン族という少数民族でありながら国会議員にまで登り詰めた父に特に強い尊敬の念を抱いていました。父も自分が倒れた時「ソウミを呼べ!」と、日本にいた私に会いたがったほど、私のことを愛してくれました。
そんな父への喪失感を埋めたい一心で、私は父に関する本の出版に着手。実は父に生前、彼がやってきたことを書いてもらうようお願いし、父は彼の両親、つまり私の祖父母のことを書いてくれていましたが、父自身のことについてはほとんど綴られることなく、天国へと旅立ってしまった。だから私は、私の家族や親戚、父に関わったあらゆる人たちに声をかけて父について書いてもらうことを考えました。それは3冊から成る書籍として実際に出版されましたが、それでもまだ、私の気持ちは収まりませんでした。
その後2011年、私たち家族は、両親を追悼するために石碑を建てることにし、その儀式を行うことに。すでに日本にいた私は、彼らが生まれ育ったチン州サタウム村へと飛びました。
その村に、私は幼い頃にすでに行っていましたが、ほとんど記憶にありませんでした。だからほぼ初めて訪問したような感覚です。そこで見た光景が、私の脳裏に焼き付いて離れませんでした。村の住民たちは、彼らが住む山の上から山のふもとを、生活用の水を汲んでは運ぶという重労働を日々繰り返していたのです。私も1回だけ手伝いましたが、とても辛かったことを覚えています。
そして翌日。石碑建立の儀式の場で出会った子どもたちの”足”に目が釘付けになりました。彼らのほとんどが靴を履いていなかったのです。
これらのことは、私の両親から昔話として聞いていましたが、それから何十年も経った現在でも全く状況が変わっていないことに、私は衝撃を受けました。
一方で私は、教育家の祖父や、国会議員だった父のおかげで、チン州の州都やミャンマーの首都ヤンゴンといった都市部で暮らすことができました。しかし少数民族であるがゆえに生じる言葉や文化、食習慣の違いや、大家族だったために余儀なくされた貧しい生活のために、ヤンゴンでは周りの人たちからいじめを受けました。それらへの反発かもしれませんが、勉強を頑張って大学へ、それも海外の大学へ行き、有名な会社で働くキャリアウーマンになることを夢見ていました。
それは言い換えれば、社会貢献活動にほとんど興味が無かったということ。しかし自分のルーツを辿る旅で出会った子どもたちにより、私の思考回路は一夜にして変わったのです。国のために働いた父に、私は知らないうちに影響を受けていたのでしょう。しかも私は、ミャンマーの都市部で育っただけでなく、世界の中でも最も豊かな国の1つである日本で快適に暮らしていることへの罪悪感も感じずにはいられませんでした。こうして「私や私の両親、祖父母を育ててくれた国に貢献したい!」と強く思うようになったのです。
追放、そして信頼失墜
石碑建立の翌年、2012年に私は初めてのNGOを立ち上げます。祖父母や両親が育ったサタウム村があるHualngo Landという地域は、主要産業は農業ですが、今もなお、機械どころか牛などの家畜すら使われず、人の手だけで行われているような状況です。そのため最新の農業技術を日本で学び、故郷に還元することを活動目的とした「Hualngo Land Development Organization(HLDO)」を、その時すでに友人だったジェイコブの助けを借りて現地で設立しました。
私は当時、日本の地元の小学校で英語を教えていましたが、その仕事を辞めてまで活動に身を捧げ、実際にHualngo Landの2人の若者たちが茨城県の農業系大学校に留学するなど目に見える成果を挙げました。そのため世界各地に展開するNGOの支部に吸収されるまでになりましたが、設立者である私は遠い日本にいたため、HLDOから”用なし”とみなされ、そこから追い出されてしまったのです。しかもHLDOに寄付してくださった方々に、お金の使い道を報告したくても、私がそれを知ることができなくなってしまった。それゆえに私への信頼も失墜するなど、精神的苦痛を経験しました。
それでも私の中にある「故郷に貢献したい」「若者や子どもたちの力になりたい」という思いが消えることはありませんでした。すでに”ママ友”だったティナと、お互いの子どもたちが所属する地元のサッカーチームに働きかけ、Hualngo Landの子どもたちに中古のサッカーボールやサッカーウェアを贈る活動を開始。実際に数回、道なき道を進みながら現地に直接サッカー用品を届けましたが、2019年末に発生したコロナウィルス、さらには2021年2月に発生したミャンマー国軍によるクーデターために、その活動も断念せざるを得なくなりました。
”米”からの再出発
「実際に村に行けなくなっても、お金なら送れるんじゃない?」- ティナやジェイコブの言葉に後押しされ、私はまず、ヤンゴンに住む私の家族に、トライアルとしてティナからいただいた寄付金を送りました。その寄付金の使い道について現地から報告をもらえば、他の人たちからも寄付金をいただくことができるかもしれないと、ティナが提案したのです。私はもともと、将来ある若者や子どもたちを支援したいと思いNGO活動を始めましたが、クーデターにより今日の食事にも困る人たちが出てきたため、そのお金で現地の人々が一番求めていたお米を購入し、貧困地域に暮らす人たちに配るよう彼らに依頼。そのミッションは無事達成されました。
そこで私たちは、より多くのお米を買えるように、人々から寄付を募るためのシステムを構築し、活動を知らせるホームページを制作。2021年10月、HMJの誕生です。HLDOを離れた後に私が現地で立ち上げた、父の名を冠したNGOを寄付金の受け入れ先とし、そのNGOが必要なものや、それを購入するための資金の見積もりを立て、それに応じて私たちは皆様からいただいた寄付金を彼らに送ります。その他必要に応じて現地側が立案したプロジェクトの実施をサポートし、彼らから活動の写真や会計報告をいただくなど、お互い密に連絡を取りながら活動を進めています。
ヤンゴンの貧困地域”ダラ地区”への米配布。地元の宣教師の協力により、これまで同地区に4回(2022年7月現在)米が送られた。またヤンゴン郊外の村にも緊急物資として米が送られた。
ダラ地区に住む人たちの住処が、国軍により不法占拠と見做され破壊された。そのうち身寄りなく資金的にも頼れる人がいない4世帯に、新たに家を寄贈した。
水道の無いダラ地区に、かつてあるNGOにより貯水槽が設置されたが、長い間放置されていたため、清掃を行うプロジェクトが開始された。貯水槽の周りに小屋を建てることで水の管理ができるようにもした。
平和になっても走り続ける
今は私の祖父母や両親の故郷であるサタウム村や、ヤンゴンのダラ地区への支援が中心ですが、本当はチン州全土に援助の手を差し伸べたいほど。それが難しくとも、ゆくゆくはHualngo Landにある58村全てを支援したいと思っています。
たとえ母国の状況が変わったとしても、現地に拠点を置くNGOと協力しながら私たちは活動を続けます。特にチン州の子どもたちへの教育です。
彼らは貧しい家庭で育っていますが、本当に可愛いし、明るくて頭がとても良い。彼らに勉強できる環境を整えれば、彼らの人生が変わります。現地に学校を作るのはもちろん、学校とヤンゴンの大学や専門学校などをつなぎ、彼らが高等教育を受けられる道も作る。さらに日本が得意とするチームワーク、日本人が持つ素直さや規律性を、スポーツを通じて学ぶ機会を提供する。そうすれば、彼らはきっと素晴らしい人間に成長するでしょう。
現地NGO”Hualungoram People’s Organization(HPO)”からの依頼により行われた教育支援。教師2人の半年分の給与や教科書、文房具を寄贈し、約2年ぶりに学校が再開した。しかし2022年11月の空爆により閉鎖された状態に。
そして現地の医療の提供にも取り組みたい。サタウム村やHualngo Landには病院が無く、病気や怪我をした人たちは国境を越えてインドまで行かなくてはなりません。昔私が仲良くさせていただいていた、サタウム村の教会の女性の牧師さんは、インドの病院に行く途中で亡くなりました。作業中に高い所から転落してしまい、その後腹部に痛みが生じ、足が腫れました。村には医者も薬もないため、インドの病院に連れて行くことに。しかし車もなく、男性数人が彼女を抱えて搬送したものの、病院にたどり着く前に亡くなってしまったとのことです。
私は辛くて涙が止まりませんでした。その経験から私たちは今年1月、HPOが運営する移動クリニックへの支援を開始しました。
HPOが提供する移動医療サービスの継続に向け、HMJが資金援助を行った。
社会貢献は”命の水”
私にとって、社会貢献活動は”命”そのもの。もし私がNGOを立ち上げていなかったら、死んでいたかもしれません。私の故郷が大変な状況にあるにも関わらず、それに対して何もできないなら、それほど辛いことは無いですから。
喉が渇くから水を飲む。私にとって社会貢献活動は”命の水”のようなもの。これがあるから、私は今まで生きてこれたのです。私の人生は社会に貢献することによって初めて意味を持つのだと思います。そしてその意味は、亡くなった父が私にくれたものなのかもしれません。「あなたは、これをやりなさい」と。私が初めて作ったNGOが実績を出せたのも、私の父が多くの人たちから好かれ、信頼を寄せられていたからだと思います。彼の本を作っても満たされなかった私でしたが、NGO活動を通じてようやく心の平安を取り戻すことができたのです。
ソウミさんにとって、日本って何ですか?
安心できる場所です。
私は昔、外国に行くことに憧れていましたが、その中に日本は含まれておらず、シンガポールやアメリカなどの大学に行きたいと思っていました。しかし日本の船舶会社が所有する船の乗組員だった主人と出会ったこと、諸事情により主人と私との結婚を海外で行わざるを得なかったこと、すでに日本に私の兄や親戚が住んでいたことなどから、私は日本に来ました。
日本語が全く分からない中で2人の子どもたちを異国で産み育てるのは辛かった。私の長男も、小学校入学後に肌の色などを理由にからかわれました。それでも今は「日本に来て良かった!」と自信を持って言えます。日本の人たちは、私が分からないことを何でも教えてくれました。長男は、地元のサッカーチームに入ってから、肌の色のことなど全く気にしないチームメイトたちに救われました。彼をからかった小学校の同級生たちも、知識が無いだけで、悪気は全く無かったと思います。また未熟児として生まれ、その後も喘息で1年半病院に入院した次男は、医療費ほぼゼロで治療を受けることができました。もし私たちが日本に住んでいなかったら、彼の命がどうなっていたか分かりません。だから私は、2人の子どもたちにいつも言っているのです。「日本のために、ミャンマーのために、自分たちが出来ることをやろう」と。
私自身は今、あらゆる事情から母国に帰ることができません。私たちがミャンマーに行き、現地の状況を見たり人々の声を直接聞いたりすること、そして現地の人たちが日本に来て様々なことを学ぶこと。これらが実現するのが、私の理想の世界です。
そのためにも、一刻も早く母国に平和が戻ってきてほしいと願っています。
ソウミさん関連リンク
Heartship Myanmar Japan
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