HOME >  【インタビュー:多文化をチカラに㉓】アウ ワンピンさん(起業家・研究者)

【インタビュー:多文化をチカラに㉓】アウ ワンピンさん(起業家・研究者)2023.07.27 | 

My Eyes Tokyoの協力のもと、日本で活躍する外国にルーツを持つ方々へのインタビューを紹介していきます。
https://www.myeyestokyo.jp/61419


ビジネスで成功するためには、常に他とは違う考え方をしなければならないのです。
ある日、私たちは1通のメッセージをいただきました。「My Eyes Tokyoのインタビュー記事を見ました。私にもインタビューしていただくことは可能でしょうか?」。送り主は、旅行業で起業したシンガポール出身のアウ ワンピンさん。しかし彼女のご経歴を拝見したところ、そのほとんどが医療分野の研究で占められていました。

ワンピンさんが経営する”株式会社TokudAw”さんのウェブサイトには、彼女だけでなく日本人の共同経営者も紹介されていました。しかし、なぜほぼ未経験の旅行分野で起業したのか?不思議に思った私たちは、ワンピんさんのリクエストにお応えすべくインタビューを敢行。そこで私たちは、あらためて気づかされたのです- 「一見不利に見える状況が、人や会社をブルーオーシャンへと導くのだ」ということを。

日出ずる国は学ぶ国
日本にはたくさんの観光資源があります。四季、グルメ、温泉、そして豊かな自然。ショッピングも楽しめる。日本には皆さんが欲しいと思うものが全て揃っています。

でも忘れないでほしい。日本は、皆さんが何かを学ぶための選択肢のひとつになり得るのです。

「修士号や博士号を取るために日本に行く」。そう私が周りの人に言ったとき、皆不思議に思いました。彼らは日本を”何かを学ぶ場所”として見ていないのです。でも私は、日本は他の国々よりも技術的に進んでいると感じています。今では多くの日本の大学が、海外から留学してくる人たちのために英語のプログラムを用意し、国際的に実績のある教授陣を誇っています。だから他の国の大学で勉強するのと違いはないと思います。

私はこれまで約15年間生物医学分野の研究をしており、現在も大学に勤務しています。その一方で、私は他の旅行業界の人たちが思いつかないようなツアーを企画します。例えば、さまざまな国の学生を日本に招き、日本のある分野について実際に役立つ知識を身につける機会を提供したり、日本の生活を体験したりできるようなものですね。

また私の経歴を活かして、ウェルネスツアーやヘルスツアーを企画することもできます。日本は健康に関心の高い人にとってぴったりの場所。健康診断や、各種治療における診断技術の進歩もさることながら、日本は西洋医学を補う補完療法にも適した場所でもあります。例えば湯治ですね。それぞれの温泉にはそれぞれの効能があります。私は栄養療法にも詳しいので、健康的な食事を提供する宿泊施設を予約するお手伝いや、療養のために来日する人のために新しいメニューを作ってもらうこともできます。おいしい日本食を食べることが健康に良いということもお伝えできますし、長年医療に携わってきたことから良い病院やクリニックを知っています。私たちのツアーで、病気や障害を持つ人たちのサポートをさせていただくこともよくあります。お客様が求めるものをお持ち帰りいただけるよう、最善の提案をすることをいつも心がけています。

これらが私たち独自の強み。でもそれは私たちの戦略ではなく、私の人生における様々な経験が生んだものなのです。

「日本に未来はない」
私が日本に来たのは2008年。でもそれより前、私が16歳の頃から、私は母国を離れて暮らしていました。

私が生まれ育ったシンガポールは、海外留学が盛んだったため、家族の希望で私は海外の大学に進学。オーストラリアのブリスベンで3年間暮らしました。シンガポールという大都会で育ったので、現地での生活、特に夜の生活は少し退屈に感じましたね(笑)放課後に買い物に行きたかったのですが、お店は夜8時、スーパーは夜9時には閉まるという状況でした。

退屈な夜を、私は日本のドラマやアニメを見たり、日本の音楽を聴いたりすることで紛らわせていました。シンガポールで中学生だった頃から『花より男子』などの日本のマンガが好きで、それがきっかけで日本語を学びたいと思うようになりました。しかし「日本のバブル経済は崩壊した。もう日本に未来はない」という考えからそれを許さなかった母は、私にドイツ語かフランス語を学ぶように強要し、私はフランス語を選びました。しかし結局、3ヶ月しか続きませんでした。

そして家族から離れ、オーストラリアに来た後、私は日本文化にどっぷりと浸かるようになったのです。誰も私が何をしているかなんて気にしていなかったから、私はブリスベンにあるクイーンズランド大学で日本語の基礎クラスを履修。大学には国際交流プログラムがあり、それを通じて日本人の家族のもとで3週間ホームステイすることができました。また、同じプログラムで私は駒澤大学に行き、日本語の授業を受けました。その間に禅を体験したり、クラスメイトとディズニーランドや渋谷、浅草に出かけたり、夜はホストファミリーと遊んだりと、観光的なアクティビティにも参加。日本での生活が気に入ったので、日本の大学院で修士課程と博士課程を取ることにしました。シンガポールの人たちは、成功を手にするためには医者や歯医者、銀行員、弁護士になるべきだと考える傾向にあり、科学に興味があった私は、大学で医学を専攻しました。製薬会社で薬の開発に携わりたかったのです。

私は東京医科歯科大学の大学院に進学し、その後は理化学研究所(理研)で研修生として研究を続けました。理研に入ったのは、東京医科歯科大学の教授に勧められたからです。海外から来た人たちがたくさん一緒に働いているのが印象的でしたが、東日本大震災の後、ジョージア(旧グルジア)から来た私の恩師を含め、多くの人が日本を離れました。また、外国人研究者が定職を見つけるのも大変でした。その後、私は栄養学を研究するために東京大学に移り、ネスレがスポンサーになっている研究室で学びました。栄養補助食品はとても大きな市場なので、私はいつも栄養科学にとても興味を持っていました。母が私のために栄養補助食品をたくさん買ってくれていたのですが、母は私に科学的に納得できる理由を説明することができませんでした。私は、私たちが摂取する栄養製品の背後にある具体的な科学的根拠を提供できる人間になりたいと思い、この分野に転向しました。当時は大学の教授になることが目標でした。

火がついた起業家精神
博士課程で研究に携わっていた頃、メタボロミクス(※生物が生命維持のために活動する際に産出する様々な代謝物を包括的に検出し、その結果を分析するために使用される一連の技術)の分野で、学生を対象とした研究助成金を賞としていただきました。その賞は、慶應義塾大学での現在の上司である冨田勝教授(※作曲家・故冨田勲氏の子息)が立ち上げたヒューマン・メタボローム・テクノロジーズが主催したもので、それがきっかけで冨田先生から慶應義塾大学での職員募集のお話をいただき、研究員として入職しました。冨田研究室のメンバーやOB・OGには起業している人が多く、先生はいつも「既成概念にとらわれずチャレンジせよ!」とおっしゃっていました。先生の「本当のブレークスルーは、いつも最初はホラー小説のように聞こえる」「普通であることは0点だ」という言葉は、今も忘れられません。そのような環境に長く身を置いているうちに、次第に起業に興味を持つようになったのです。

お話を少しだけ戻しますね。理研に在籍していた頃、私は神奈川県内にある寮に住んでいました。そこで後に私の夫となる台湾人男性と出会います。彼は東京の小さなバス会社で、後に私のビジネスパートナーとなる日本人男性と一緒に働いていました。彼らは訪日観光客向けの観光に携わっていましたが、どちらも英語が話せなかったため、私はフリーの通訳として彼らを手伝っていました。実は母がシンガポールで留学生向けの学生寮を経営していたので、私は台湾人やフィリピン人、マレーシア人などと一緒に育ったのです。また日本に留学していた頃、私は留学生のための寮に滞在し、海外から来た学生たちとおしゃべりを楽しみました。それらの経験が、その仕事で活かされたように感じました。

私たちが一緒にいることで、お客様が楽しい時間を過ごしている – その様子を見るのが本当に楽しく、気持ちが充実していくような気がしました。これらの経験を活かそうと、起業した他の研究者のように自らの研究に関連する分野で起業するのではなく、研究分野とは全く違う旅行業界で起業することを決意。それに向けて学校で1年間学んで必要な資格を取った後、日本の永住権も取得しました。

「さあ起業の準備が整った!」そう思った矢先、コロナウイルスが日本を襲ったのです。

常に違うことを考える
「なぜこのタイミング?」 私はとても落ちこみました。でも日本人のビジネスパートナーである徳田さんが言ったのです。「ビジネスで成功するためには、人と違うことを考えるべきだ」と。その言葉に押されるように、私たちはコロナ禍の真っ只中の2020年9月に会社を立ち上げました。

最初の1年間は、日本に観光客が全くと言って良いほど来ませんでした。そこで私たちは、日本各地で作られた製品の海外輸出を試みましたが、貿易の経験がなかったため断念。「いったいどうすれば良いか・・・」そう悩んでいたころ、東京オリンピックという大チャンスがやってきました。

オリンピックの公式スポンサーであるオメガ(スイスの高級時計メーカー)が主催するプロジェクトに、私たちは参加。オメガには多くのスタッフが所属しており、私たちはバスでのスタッフ送迎を担当しました。これが私たちのビジネスが軌道に乗るきっかけとなりました。そしてついに日本の国境が開かれ、多くの旅行者が日本に戻ってきたのです!
私たちはそれぞれが違うスキルセットを持っている、良いチームだと思います。徳田さんはかつてアパレル会社やバス会社で豊富なビジネス経験を積んできました。だから他社との価格交渉の仕方も知っているし、予算表の作り方や手数料および利益の計算の仕方など、あらゆることを教えてくれます。夫は台湾に多くの人脈を持っているので、私が英語圏からの人々を担当する一方、彼が台湾市場を担当します。また、彼は私たちの会社のCFOとして、価格設定面などで私をアシストしてくれます。その他、コンシェルジュサービスの提供、バスドライバーへの連絡、旅程の作成などは社外の人やアルバイトに委託していますが、今後は社内でそのような人たちを増やしたいと考えています。

お客様はシンガポールや台湾の人が中心です。また私が受けたCNBCやBBCからの取材のおかげで、アメリカからもお客様がいらしています。将来的には、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどにもマーケットを広げていきたいですね。一方で私たちは中国本土の人たちと接点がありませんが、すでに多くの企業がターゲットにしているので、その人たちにお任せしようと思います。

私の言葉を覚えていますか?他と違う考え方をする人が、成功を手にするのです!

ワンピンさんにとって、東京って何ですか?
今は私の故郷です。
海外からだけでなく、東京から離れた成田空港から東京に戻った時でさえも、自分が故郷に帰ってきたと感じます。シンガポールは20年近く離れていて、ずいぶん変わってしまったから、どんなところだったか忘れてしまいました。だから故郷が恋しいとはあまり思いません。シンガポールからいらしたお客様に会ったり、母と電話で話したりするだけで、私は十分幸せなのです。シンガポールのお客様は、私が故郷を恋しがっているかもしれないと思って、いつも故郷から素敵なお土産を持ってきてくださるのです。

東京では誰も私のことを気にしない。だから自由にいろいろな新しいことに挑戦できる。それが楽しいです。

ワンピンさんにとって、日本って何ですか?
私にたくさんのチャンスを与えてくれた国です。だから私も日本に恩返しをしたいと思っています。
外国人と日本人がお互いに学び合うことで、誰もが知識を深め合い、生じ得る誤解が少なくなることを願っています。それを実現するためには、外国人も日本人もオープンマインドかつ柔軟でなければなりません。

そうやってより良い社会を一緒に作っていく。私たちはビジネスを通じて、それを実現することに貢献していきたいと考えています。

ワンピンさん関連リンク
株式会社TokudAw:tokudaw.com/
*Facebook:facebook.com/tokudawinc
*Instagram:instagram.com/tokudawinc/
*YouTube:こちら

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