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【インタビュー:多文化をチカラに㉕】ケリー・サンさん(教育家)2023.10.14 | 

My Eyes Tokyoの協力のもと、日本で活躍する外国にルーツを持つ方々へのインタビューを紹介していきます。
https://www.myeyestokyo.jp/61456

これまですべて自分で決めてきた。私の人生に後悔はありません。

この夏、私たちMy Eyes Tokyoは多文化社会で知られるカナダを訪問します。この旅を記念して、私たちの長年の友人であるカナダ人女性をご紹介します。
カナダ西海岸、バンクーバー出身の教育家であり、語学学校運営者でもあるケリー・サンさんです。彼女は以前、私たちの取材に協力してくれました。以下の記事で彼女の姿をご覧いただけます。

ジェームズ・コリンズさん
Tell me, Japanese people! 〜日本人に聞きたいこと〜横浜編

コロナの影響から長年ケリーさんにお会いできませんでしたが、ようやくその状況が明け、私たちのカナダ訪問が決まった後、久しぶりに彼女の声が聞きたくなりました。一児の母であり、ビジネスパーソンでもあるケリーさんは、数年ぶりの私たちとの再会に満面の笑みで喜んでくれました。しかし一方で、様々な文化の中で育ち、経験してきた彼女の言葉は、とても力強く感じられました。

幼い頃の日本の思い出
私と日本との出会いは子どもの頃にまでさかのぼります。私の母には日本人の親戚がいて、彼女は自分の家族とその親戚との間で育ったと言っても良いと思います。とても伝統を重んじる日本人たちの影響から、母の考え方や人との接し方はとても日本的でした。そのような背景から、私は幼い頃に母を通じて日本文化に触れたのです。母が父と結婚した後、2人は80年代初めに中国で日本関連のビジネスを始めました。

そのため、日本の文化やマナーは私にとって決して未知なるものではありませんでした。日本語の仮名は母から教わりましたし、私が幼少期を過ごした香港の家にはこたつがありました。私が生まれたときに日本の親戚からいただいた、ヤマハのピアノも家にありました。高校を卒業する直前の17歳のとき、家族で日本に来たときのことを今でも覚えています。

そのような環境で育ったから、その後私が日本に引っ越してきたとき、日本の文化に適応するのはとても簡単でした。新しい国に移り住んだ多くの外国人に比べれば、カルチャーショックは少ない方だったと思います。

この国にはいろいろな面で感謝しています。日本の人たち、環境、制度には心から感謝です。私は2016年からここに住んでいるし、これまで他の場所にも住んだことがあるから、私は堂々と言えると思います -「日本はとても良い国だ!」と。

自由に憧れた少女
私は東洋と西洋の間で育ちました。私は香港で生まれ、香港のインターナショナルスクールに3年間通いました。寮生活をする学校でしたが、そこに通うことを選んだのは、自由に好きなことができると思ったからです。しかし実際は、家で甘やかされて育ったから、最初はとても大変でした。でも、毎日同じ環境に同じ年頃の子たちと一緒にいることで、社会性を身につけることができました。私の家族は一人っ子で、いとこたちは私よりずっと年上なので、そのような機会になかなか恵まれなかったからです。私はそこで広東語と英語の2ヶ国語で教育を受け、他の国々の子たちとも友達になりました。

私は10代の頃、欧米の文化にとても興味を持っていました。自由が好きで、枠にはまるのが嫌いで、ひょうきんキャラだったからでしょうね(笑)。欧米に住んで、その文化にどっぷり浸りたいといつも思っていました。

両親もそれを理解し、尊重してくれました。こうして香港以外の国への移住を考え始め、まずはオーストラリアを訪れました。現地で家も探したし、学校見学も2、3回行きました。学校は素晴らしかったし、制服も好きでした(笑)。しかし家探しのツアーが終わって香港に戻ったとき、本当にオーストラリアに引っ越したいかどうか考えました。そして、他の選択肢も探し始めました。

父にはカナダに住んでいるビジネスパートナーや友人が何人かいました。父がカナダを訪れたことがある一方で、私はそこに行ったことがなかった。父は私に「カナダを見てきたらどうだ?」と言いました。父の友人たちには家族も子どももいて、楽しそうに暮らしていました。ちょうど夏休みだったので、私は母と一緒にバンクーバーに行くことに。街は本当にきれいで、3週間の滞在期間中、現地の人たちは私たちにとても丁寧に接してくれました。学校制度や治安もよく、街には様々な文化が共存していました。さらに住民がとてもリラックスしたライフスタイルを送っているように見えたので、私たちもそこでとても素敵な生活を過ごせるだろうと感じたのです。こうして家族は、私が12歳のときにカナダに移住することに決めました。

好きになろうよ だって自分が選んだ場所だから
新天地に移ってすぐ、私はカナダに溶け込むことができました。興味を持ったり、ワクワクしたり、ポジティブな気持ちを与えてくれる場所について考えたりすると、すぐにその場所に飛び込んで、思い切り好きになろうとする性分だからでしょうね。新しい人生、そして新しい国にやっと出会えた気がしました。私にとって全てがキラキラと輝いていました。最初は分からないことや苦労したこともあったけど、楽しかった。人がどのように考え、何を一番大切にしているのかなどを、懸命に学ぼうとしました。

私はまず、英語を学ぶために私立の学校に行きました。生徒の80%はアジアから来た子どもたち。彼らのほとんどは、カナダに渡ることを親が決めたから、そこにいることを楽しんでいないように見えました。一方で私は、カナダでの生活を楽しみ、いろんな人と話そうとしていたので、言葉を覚えるのはかなり早かったと思います。カナダに移ってから9ヵ月後には地元の学校に通い始めました。しかもその学校は、私の家の近くにある学校よりも様々な文化に触れられるという理由で、私が選んだのです。また、多くのアジア人の親が子どもを働かせずに勉強に専念させたいと考えている中、私は16歳でアルバイトを始めました。バンクーバー市内のスターバックスなど、いろいろな場所で働きました。

高校を卒業するまで私はバンクーバーに住んでいましたが、その後、家から離れた別の地域の大学に進学。両親がそばにいない環境で一人暮らしをしました。バンクーバーを離れてからも大学近くのスターバックスで働き続けましたが、それは彼らから多くのことを学び、それを通じて自信を持つことができたからです。大学卒業後、自尊心を失うほどの厳しい就職活動が数ヶ月続いた後、ようやくバンクーバーの大学に就職。私にとってアカデミックな環境の方が居心地が良いんでしょうね。そこでは学生寮の管理や事務を担当していました。バンクーバーのビジネススクールでMBAも取得し、それを通じて自分の強みを再発見。つまり”ビジネスは自分には向いていない”と気づいたのです(笑)。

やがて結婚し、家庭も築きました。バンクーバーでの生活をすっかり楽しんでいました。でも約20年そこにいるうちに「何か新しいことを探したい」という思いが湧いてきたのです。どんなに好きな場所にいたとしても、私は心のどこかで変化を求めていたのだと思います。自分だけでなく、家族にとっても良い、新しい場所を考え始めたその時、私は子どもの頃のことを思い出したのです。

新たな挑戦 – 東洋への回帰
私は日本への団体旅行ツアーに複数回参加。有名な観光スポットだけでなく、住宅街やスーパーマーケットにも足を運び、地元の人たちの様子を見て回りました。車でドライブにも出かけました。そうするうちに「うわー、ここに住めたら本当に良いだろうな!」と思ったのです。しかも、日本は子どもを育てるのに最適な場所だということも知りました。

でも、すぐに一家で日本に移住したわけではありません。試しに半年間住んでは帰国するというルーティンを繰り返しながら、2年間カナダと日本を往復。どちらが好きか比較検討した後、2016年に正式に日本に移住しました。

当時、息子は日本語が全く話せなかったので、インターナショナルの幼稚園に通わせました。その後、現地の小学校に転校したのですが、私が今まで経験したことのないような教育だったし、日本の学校についてはアニメ『ちびまる子ちゃん』でしか見たことが無かったから、ちょっと大変でした。でも、日本が社会的にも教育制度的にもとても成熟していることを知っていたので、息子にはそこに行ってほしかった。公立の学校に行くことで良い経験ができると強く信じていたのです。そして転校を余儀なくされた時でも、彼はその環境を楽しんでいました。それはあたかも、私がいつも新しい場所を楽しんでいたことに似ています。今、彼は小学6年生ですが、日本語がほぼネイティブ並みに話せるようになりました。彼の転校のおかげで、私も書類の作成がうまくなりましたね(笑)。自分たちの選択は正しかったのだと、私たちは確信しました。

自分の人生は自分で切り開け
一方で、私はいつも自分で何かを始めたいと思っていました。でもバンクーバーにいたときは、大学で安定した仕事をしていたので、そのチャンスはありませんでした。でも日本では、地元に根付くスモールビジネスが多く、夢を追いかけている人たちがたくさんいたので、それが可能だと感じました。またカナダにいたとき、オンラインで第二外国語としての英語の教授法を学びました。

それらの思いや経験から、私は”KNS English Education”という語学スクールを東京都心で立ち上げました。そこで私は大人向けのレッスンに焦点を当てており、翻訳サービスも提供しています。子どもや赤ちゃん向けの英会話スクールにすることも考えたのですが、小さい頃は自発的に学校に通うのではなく、親が決めたことに従うだけで、自分が何をしたいのか分からない子がほとんどです。私がカナダに移住してすぐに通った私立学校でのエピソードについて覚えていますか?自分が決めたのではなく、親が決めたからカナダにいる。だからカナダにいることを楽しんでいない子どもたちがいた、というお話をしたと思います。教える・・・.いえ、この表現は違いますね。教えたいのではなく”つながりたい”。自分が何を求めているのか分かり、自分なりの疑問を持ち、語学を通して自分の目標を達成するために学びに来ている人たちと、私は”つながりたい”のです。

私は母親であり、経営者です。まだまだ他のいろんな価値観に自分を投影させたい。やがて子どもたちは成長し、それぞれの人生を歩むでしょう。でも一方で、親である私たちはどうなのか? – その疑問をいつも意識しながら、実際に自分自身のことを続けたい。子どもには子どもの人生があり、私にも私の人生がある。子どものためにライフスタイルを選択することは、私には無いのです。

ケリーさんにとって、日本って何ですか?
故郷です。
もちろん、カナダやバンクーバーは今も私の心の故郷。しかし、多くの困難やそれらとの格闘、そしてコロナ禍などを経て、ついに今年(2023年)日本を”私たちの故郷”と思えるようになったのです。今はとても居心地がいい。私たちを受け入れてくれている人たちに感謝しています。

今、私たちはようやく故郷にたどり着きました。これからも、ここで暮らしていくつもりです。

ケリーさん関連リンク
KNS English Education:knsenglish.com/

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