HOME >  【インタビュー:多文化をチカラに㊵】後藤裕幸さん(起業家)

【インタビュー:多文化をチカラに㊵】後藤裕幸さん(起業家)2024.12.25 | 


日本経済の維持には外国人労働者が不可欠。外国人の力を借りることが日本が生き残るための唯一の道なのです。

※My Eyes Tokyoの協力のもと、日本で多文化共生を推進する方々へのインタビューを紹介しています。
元記事
https://www.myeyestokyo.jp/63140
以下、転載です。

ある日、私たちはFacebookである記事を目にしました。西武鉄道沿線に住む、アジア各地やアフリカなど世界中から来た人たちのストーリーです。それらはさながら”My Eyes 西武沿線”といった赴きで、それぞれの視点から見た西武鉄道沿いの街々や東京、日本の姿を、各々のライフヒストリーと共に楽しんで拝見しました。

そのような人たちの暮らしを実際に支えているのが、西武鉄道さんとコラボレーションされている”GTN”。正式名称”グローバルトラストネットワークス”さんは「外国人が日本に来てよかったをカタチに®︎」を自らのミッションに掲げ、日本に住む外国人の生活全般へのサポートを事業としているとのこと。興味を持つとすぐにその代表について調べたくなる私たちの性で(笑)リサーチすると、海外出身者ではなく日本人、海外での生活経験をほぼお持ちでないという方でした。しかも創業は2006年7月と、My Eyes Tokyoサイトの立ち上げとほぼ同時期です。

ご縁を感じた私たちは、創業者である後藤裕幸さんが、異国で外国人になったご経験がほぼ皆無でありながら約20年も在日外国人の暮らしを支え続ける、その情熱の源を探るべく、GTN本社を訪問。そこで私たちは、後藤さんの衝撃的な過去、そして沸々と湧き立つ”怒り”に触れることになったのです。

「日本にきてよかった!」と喜びを爆発させる人たちが、来日した人たちを出迎える。
成田空港駅

外国人の“住”の課題を解決
GTNが取り組んでいるのは”日本に住む外国人が抱える社会的課題を解決すること”です。中でも私たちが最初に取り組んだのは”住”の問題。人間の生活に必須の衣食住の中で、”衣”と”食”については、相手が外国人だからと言ってユニクロが服を売らなかったり、吉野家が牛丼を提供しなかったりすることはありません。しかし”住”については長らく高い障壁が存在します。

物件の大家さんや不動産会社さんには、家賃の問題以外にも、生活上のルール遵守などへの懸念があり、外国人に家を貸すことに躊躇していました。私たちは、貸主と借主の双方のリスクや不安を軽減し、外国人が安心して生活できるようサポートすることが重要だと考えました。

そこで私たちは2006年、外国人向けの家賃連帯保証サービスを開始しました。今でこそ全国1万5,000社の不動産会社さんに、GTNの連帯保証サービスをご利用いただくまでになりましたが、当時は日本人向けの保証会社さえもようやく普及し始めた頃で、外国人向けのサービスはほぼ皆無。「せっかく”日本が大好き!”という気持ちで来てくれた外国人が、日本を嫌いになって母国に帰る状況を変えましょう!」と説いて回りました。そのような活動を続ける中で「外国人のお客さんはいない」という不動産会社には、部屋を探している外国人を一緒に連れて行きました。この経験が、やがて外国人を対象とした不動産仲介業務につながります。外国人向けに家賃保証と不動産仲介の両方を行っているのは、恐らくGTNだけでしょう。ゴミ出しの方法や近隣とのトラブルなどに関して外国人入居者や管理会社さんから相談を受け付けており、その数は月1万5,000件以上に上ります。

外国人の”住”に関する課題として、携帯電話も挙げられます。契約期間内は解約できず、外国語のカスタマーサポートが無い日本の携帯電話会社に不便を感じていた人たちが少なからずいたため、独自の通信サービスを立ち上げました。それ以外にも外国人向けのクレジットカードを発行したり、また外国人が日本で暮らすために不可欠の”職”の分野の課題解決としての就職支援など、外国人が安心して日本で生活できるようサポートを続けています。

これからも、外国人が日本で生活する上で直面するさまざまな課題を解決し、企業や大学とも連携して、より良い社会を作るために努力していきたい。日本に住む外国人は、マーケットとして考えれば非常に小さいですが、十分に社会性や必要性、将来性のあるこれらの事業に意義を感じています。

社会への怒りを胸に目指した政治の道
私の現在の事業に至る道のりは、外国人とは全く無縁だった時代までさかのぼります。

私は大学に入学する前、2年におよぶ浪人生活をしていました。若者の自殺者数が約3万3,000人に達し、社会全体が不透明な未来や政治への不満を抱えていた時代、私自身も様々な人間関係に悩んでいました。元来明るい性格で、ビジネス書を読んだりスポーツを楽しんだりするような人間でしたが、社会に対する強い怒りや不満を感じ、やがて自分で命を絶つことを考えるまで追い詰められていたのです。

しかし「死ぬのはいつでもできる」と思い直し、死ぬ覚悟を生きる決意に変えて、郷里の熊本から東京へ出て人生をリセットすることにしました。

当時、私に大きな影響を与えたのは”平成の鬼平”と呼ばれた弁護士・中坊公平さん。数々の事件の被害者救済や、バブル経済の負の遺産である約7兆円もの不良債権の回収に取り組む姿に感銘を受けたことが、私が弁護士を目指したきっかけです。一方で、常に海外からお金を無心される日本の立場の弱さを憂いました。

しかも毎日100人以上が自殺しているような社会にもかかわらず、それを築いてきた大人たちが責任を取ろうとしない – そんな現状にも怒りを覚えました。”生きる”という人間の基本的な欲求を放棄するというのは、強い葛藤と同時に怒りや激しい感情が伴うもの。それに対して、社会や大人たちの理解が全く不足していると感じました。私は「いつか政治家になって外交と教育の問題に取り組もう」という志を胸に、中央大学に入学しました。

年を取るまで待てない
浪人時代、私は家から一歩も外に出ない”引きこもり”で、新聞記事を隅々まで読み、読む記事が無くなったら株価欄に並ぶ数字までも読んでいました。それがきっかけで株に興味を持ち、大学在学中に”株マシーン”という、モーニング娘。の当時のヒット曲を真似た名前のサークルを創設(笑)。やがて韓国人や中国人の留学生が仲間に加わったのです。私が海外と接点を持つ、最初の出来事でした。

当時は、日本よりコンテンツ産業が10年進んでいると言われていた韓国が、IT大国を目指していた頃。日本でもサイバーエージェント代表の藤田晋さんや、元ライブドア代表の堀江貴文さんのように、20代で富と名声を築き上げた人たちが現れていました。政治家を目指し上京しましたが、政治の世界では、大臣になるためには国政選挙に5回当選しなければならないという不文律があったり、それまでに地盤や人脈を築くために多くの時間がかかり、その途上で多くのしがらみに身動きが取れなくになったりするもの。「起業家になる方が、早く社会を変えることができるのではないか?」と思うようになりました。

そこで私は、当時すでに世界有数のオンラインゲーム会社になっていた韓国のゲーム会社に触発され、留学生たちとオンラインゲームに必要なネットワークや決済システムを構築する会社を起業。ゲーム以外にも、インディーズファッションサイトの制作を行いました。”若き起業家としての一歩を踏み出した”と言えばカッコ良いですが、実際は私を含む全社員が、平日の夜や週末にアルバイトをして運転資金を確保し、必死に事業を続けていました。ネットワークの構築や維持には、多額の資金が必要でしたが、当時はITバブルが崩壊した頃だったために資金調達が難航したのです。結局、事業の継続を断念し、資金をそれほど多くは必要としないアナログのビジネスに活路を求めました。

ビジネスの成功 そして裏切り
私は留学生たちが持つネットワークで行える事業をリストアップし、様々な企業に配布。それが功を奏し、国内のマーケティング企業から「君たちの出番が来た!」とお声がかかります。2000年代初め頃、すでに日本のリチウム電池メーカーが脅威に感じていた中国の大手企業の製品に関するリサーチを受託したのです。私たちが持っていた中国人ネットワークを活用して徹底的に調査を行い、それが高く評価されました。その割に非常に低い報酬しかいただけませんでしたが(笑)情報の価値を実感した私たちは、マーケティングリサーチ会社を立ち上げました。

日本と韓国に拠点を置いたその会社に、スタッフは約20人。私が唯一の日本人で、他は全員韓国人でした。うち正社員は10人ほどで、それ以外は業務委託先や顧問として、韓国の大企業で活躍していた人や、韓国財閥のキーパーソンに繋がりのある人などにご協力いただきました。アジアマーケットの専門集団を結成して日本のトップクラスの企業と仕事をさせていただく一方、2000年代初頭からその可能性に注目していた私たちは、あるテクノロジー企業の経営戦略報告書を作成。1部10万円のそのレポートに多くの企業が殺到した上、私たちの見通しは当たり、その企業は世界有数の大企業へと成長しました。

やがて私の中に「もっと会社を成長させたい」という思いが強くなり、信頼できる人に売却して、その人と一緒に事業を継続させようと考えました。しかし売却後、私自身が会社を追い出されることになったのです。

”3度目の正直”で社会課題の解決に挑む
ビジネスに集中していたため大学は中退。幸いにも多くのヘッドハンティングのお話をいただいたり、社長秘書のオファーを受けたりしました。年収700万円という、当時の私の収入よりも多い金額の給与をいただけるというお話もありました。しかし「勝負に負けたまま終わりたくない」という気持ちが強かった私は、もう一度自分の手で会社を作ることを決めました。

そんな折、私はあるレポートを目にします。「少子高齢化が進む日本では、労働人口を確保するために2050年までに2000万人もの外国人を受け入れる必要がある」- 中でも人材不足が懸念される介護分野では、1000万人以上の外国人を受け入れる必要があると言われていました。しかし実際には、その状況に対して誰も何もやっていなかった。そこで私は、日本に外国人を受け入れるために何ができるか考えました。

その時に思い出したのです。大学時代、日本人学生と留学生の交流の少なさを感じていたことを。まだ”Japan as No.1”と言われていた時代、日本の名門大学のレベルをはるかに超えた中国や韓国の大学からの留学生たちと接することで、彼らの優秀さを実感しました。しかし大学のイベントでも、結局中国人は中国人同士、韓国人は韓国人同士で集まり、日本の学生との交流が進んでいない現状に違和感を覚えたのです。そのような閉鎖的な空気は不動産業界にもありました。

2000年代初め頃、”トラブルが多発し物件の価値が下がる”などの懸念から、外国人に部屋を貸すことに二の足を踏む業者さんが多くいました。中でも家賃滞納への懸念から、外国人は必ず保証人を付けるよう求められました。しかし保証人となる彼らの親は日本にはおらず、結果として私自身、以前経営していた会社の社員やその親戚、知り合い、果ては全く会ったことが無い人の保証人を引き受けていたことがあります。その経験から、私は外国人が日本で部屋を借りる際に直面する大きな問題を実感し、その解決に向けた取り組みの必要性を感じました。私が政治家を志していた頃に関心を抱いていた外交問題との近しさを覚え、私は外国人たちの親の代わりに保証人になる、いわば”親代理業”に取り組むことを決意。2006年”グローバルトラストネットワークス”を立ち上げました。

外国人の課題解決=日本の課題解決=地球の課題解決
私は以前、面と向かって「日本の将来のために、もっと日本人が抱える課題に取り組めよ!」と批判されたことがあります。しかし私は「日本社会の少子高齢化を解決するために、外国人の力が必要なのです。私はあなたの100倍、日本のことを考えています!」と反論しました。日本の労働力不足は深刻であり、高齢化社会を支えるためには納税者としての労働力が必要です。特に今、宿泊業界では人手不足が大きな課題です。

もちろん、生涯現役で高齢者の方々が働くことや、女性の活躍を促進することも重要です。しかしそれだけでは足りません。日本経済の維持には外国人労働者が不可欠です。人口減少が進む中で、仕事を必要としている外国人の力を借りることが、日本が経済的に生き残るための唯一の道だと考えています。

多様性を推進していかないと、日本という国は今後成り立たない。外国人が日本で安心して生活できる環境を整えることが、少子高齢化に伴う労働力不足という社会課題の解決のために重要です。彼らが日本社会に適応しやすくするためのサービスを提供し、少子高齢化が進む日本において外国人が果たす役割を支援していきたいと思っています。そして同時に、人口増加を続ける地球上での最適な人々の配置を考えることも大変重要だと感じており、私自身のミッションだと捉えています。そのためにも日本が海外から来る人たちを受け入れる環境を整えるための事業を続けていきたいと思います。

日本人と外国人との地域交流を目的として行われた”新宿多文化共生まつり”で自社の取り組みを紹介。
2024年7月

”外から目線”で豊かな人生を
外国人労働者を受け入れることに対する日本人の意識は、確実に変化しています。昔は外国人労働者の受け入れに賛成する人が少なかった一方、近年その割合が大幅に増えてきています。これは日本社会が確実に変わりつつある証拠です。

私がGTNを立ち上げた2006年当時、日本人の外国人に対する抵抗感が強くありました。しかし今は状況が随分変わってきています。特に若い世代は外国人との交流に慣れ、むしろそれを楽しんでいるように感じます。不動産業界でも、代替わりした若い2代目経営者たちが外国人を積極的に受け入れるようになってきました。

歴史を振り返っても、日本は鎖国から開国、大政奉還まで、外国からの影響を受けながら変化してきました。”Japan as No.1”と言われた時代には、自国の力を過信して他国を蔑視するような風潮が生まれましたが、そのような時代を知らない若い世代は、当たり前のように韓国の音楽に熱狂しています。

現在、日本で働く外国人の数は急増しており、多国籍化が進んでいます。GTN立ち上げ当時は40万人程度だった外国人労働者は、今や200万人を超え、2025年には400万人を超えると予測されるほど。これによりますます多様性が促進され、日本人も世界を知りグローバルな視点で物事を見る機会が増えています。私自身、九州の田舎から東京に出て、中国や韓国、さらにはベトナムやモンゴルなど、さまざまな国の人たちとの交流を通じて多くの学びを得ました。こうした多様性は実に楽しいものだと感じています。

私の妻が旅行好きで、ゲーム好きな私は彼女に外へ引っ張り出されることが多いのですが(笑)いろいろな国に行き現地の人たちと出会うことで、その人たちの文化の良さを知り、自分たちの文化の良さも感じる。そうなれば考えに奥行きが出ますよね。だからもっと多くの人に、便利な日本を飛び出して、自分の目で外の世界を見ていただきたいですね。

”移動の距離”と”アイデア”は比例するもの。海外の人たちの視点から日本を客観的に見る機会があれば、人生がより楽しくなると思いますよ!

後藤さん関連リンク
株式会社グローバルトラストネットワークス
・企業サイト:gtn.co.jp/
・YouTubeチャンネル:youtube.com/@GTN-GlobalTrustNetworks
・Instagram:instagram.com/gtn_official/

このページのトップへ